2014年5月12日月曜日

臨時「あけぼの」乗車! ~その2~

おはようございます!
前回の更新からずいぶん遅れましたが、臨時「あけぼの」最後尾、オハネフ24-10です。

男はつらいよの寅さんが、「新幹線はなんで乗ってる時間が短いのに、料金は高いんだ!?」とおっしゃったそうですが、定期運転の時に、青森着AM9:52だった「あけぼの」、臨時になったら青森着はなんと2時間以上遅い12:19着となりましたので、まだまだたっぷり度を楽しめるのであります!?

AM6:48 酒田駅到着。
機関車は、EF81 137に変わっています。


朝ぼらけ 山の麓に はなの咲く
田植え待つ里 汽車が貫く

鳥海山が、こんなに明るく眺められるのも、青森着が遅くなったおかげではありますが・・・

はっきり申し上げて、ボクら「あけぼの」に乗りたい鉄ちゃんにとっては、青森着が遅くなったのはいいことなのかもしれませんが、単純に上野→青森の移動手段としての役割は、放棄したと言わざるを得ないのでしょうか?帰路で思い知りましたが、東北新幹線で東京を朝出発すれば、あけぼのよりよっぽど早く青森に着けますものね・・・
臨時化→利用し辛い時刻設定に変更→ますます利用客が減る→廃止・・・という末路をJRの陰謀として・・・という噂もありますがどうなんでしょう!?

酒田駅に疎開中のJR東日本211系(東海道線や東北線で使われていた子)

秋田、米どころを行く!白神米のサイロ!

今回のボクが乗った6号車以外の編成各車!5号車B寝台ソロ!オハネ24 551

4号車オハネ25 210 

3号車オハネ25 152 

4号車オハネ25 32 

しんがりは、オハネフ24 10

オハネフ24 10からの眺め

国鉄、昭和のディティール。栓抜き。

寝台では禁煙・・・て、今は全車禁煙です・・・ 


折り戸の寝台車両ももうわずかしか残っていない・・・

では、次回は青森着のレポートを!?

2014年4月29日火曜日

臨時「あけぼの」乗車!

上野駅 EF64 1052

4月26日土曜日、4月24日から5月5日運転の、臨時「あけぼの」に乗ってきました!

3月の定期廃止までに乗れず、悔しい思いをしたボクですが、1ヶ月前の3月は仕事が多忙で切符を取りに行けずじまい。。。
あまり一人だけでとまりで旅行に行くのも、うちの嫁様の手前気が引けるので、あきらめかけていた4月初旬・・・って結局あきらめきれずに、横浜駅のみどりの窓口へ行くと、
「4月26日、B寝台下段が1席だけ空いてます!」
即買ってしまいました・・・

上野駅に行くと、旅行気分が高まります。
ヨーロッパ的な行き止まりホームとコンコースの構造に、東北の玄関口としての歴史の深みが加わり、本当に旅情溢れるステキな駅です。
上野駅コンコースといえば、猪熊弦一郎作の絵画「自由」。
子供の頃、福音館書店の名作絵本「やこうれっしゃ」の1ページ目に出てきて、非常に印象に残っています。


さらに、先週、品川キャノンギャラリーSにて開催中の本橋成一さんの写真展「上野駅の幕間」を観に行ったので、気持ちは昂ります!!

数年後には東海道線と東北線も直通運転を開始しますが、上野のこの雰囲気は残るのでしょうか?

さてさて、上野駅ではもちろん、尾久車両センターからの推進入線が見たい!ということで、約1時間前にホームへ。
既に正面にはカメラを手に陣取る、ホントの少年と、心が少年のおっさんが・・・

もちろん、潔い少年のココロを持つボクも空いたスペースにカメラを構えました。
少年の一人は、本日赤羽でニコニコ超会議号と黒磯訓練を撮って、上野まで来たそうな・・・
「あけぼの乗るの?うらやましいなぁ・・・お金ないし・・・」
と言われましたが、ボクは、
「いや、学生で時間があるうちに思いっきり列車を追いかけて撮っておけるのもうらやましいよ!今走っている列車がもう数年後には走っていないかもしれないから・・・」
そんな会話をしながら到着を待つ。
約15分前、ようやく入線。
カメラを持って線路終端で待ち構えていましたが、あ・・・れ・・・そこまでですか!?
そう、臨時あけぼのは、定期時代より2両減車の6両編成だから、ずいぶんホームの端に止まりました・・・

本日乗り込むのは、B寝台6号車、電源車カニ24と背中合わせに繋がっているオハネフ24.
白帯、ステンレス切文字。初期ブルートレインの香りを残す車両。
ドア上の3つ星は、「2段式客車寝台」の表示。
もう一つ星「3段式客車寝台」は存在しないし、2つ星「3段式電車寝台」も定期列車はありませんが。

実は、今回の「6号車15番」というのは、一番端っこの寝台で、通常は通路と直角に2段寝台が向かい合っているのですが、15番は2段寝台の反対は、壁、ちょっとした2名個室みたいな感じ。
まぁ、上段の人は知らない人ですが。

上野駅を定刻どおり21時33分発車。
久しぶりの発車時の「ガックン」ショック。
うーん、客車列車独特の味わいではありますが、夜中にあのショックで安眠できない方も結構いらっしゃるかと・・・

さて、発車してしばらくは車内を歩き回ったり、上野駅で買い込んだビールを飲んだり・・・
そうそう、車内販売はありませんし、今回あけぼの名物の大館駅駅弁「鶏めし」も繁忙期のためお休みとのこと。
臨時化されて、どこで食料にありつけるのか(お酒にありつけるのか)非常に心配だったので、上野でビールとおにぎりを大量に購入しておきました。
あっという間に高崎。
多少外に出る余裕がある最後の駅でした。
まもなく日付が変わります。

また車内でビールを飲んだり、うろうろしたり、多少ウトウトしたりしながら、やがて2時30分ごろ、長岡でEF64からEF81への機関車交替。
しかし、運転停車のみで、車外に出られないため、かつての九州ブルートレイン下関・門司での機関車交替のように機関車のところにみんなで走っていくというショー的なことは無く、冷えた空気の中、静かに黙々と開放・連結作業がされていきます。
EF81がずいぶん離れた機回り線から回ってきます。
では、本日はそろそろ寝ましょう!
おやすみなさい!!

2014年4月10日木曜日

小田急、旧あさぎり、現わる!

あれ?ご無沙汰ですね?ムーニーです!
仕事がさぁ、、、忙しくってさぁ。。。
今日も終電、その時!!!


八王子駅の横浜線ホームに、カメラを手にした、鉄なお仲間がたくさん!
見ると、EF64の10??に牽引された、旧小田急RSE車こと20000系が!!
そう、「あさぎり」として、JR東海371系と共同運行された車両です!
富士急へ譲渡だそうで。。。てことは、富士急で旧国鉄165系フジサン特急を交替かな。

しかし、1991年製造の車両ですよ。
第2の人生が決まって良かったけど、小田急も、せっかく御殿場線乗り入れのためにJR東海と共同運行の車両を製造したのに、2012年に運行取り止めて譲渡とは。。。
あさぎりの客が減少したから、とのことですが、小田急とJR東海、どちらから「あさぎりの共同運行止めようぜ〜」と言い出したのでしょうか?
新幹線以外のヤル気ゼロのJR東海だからなぁ、、、勝手な憶測で、小田急が被害者なんじゃないかな〜と。
勝手な憶測ですが。

まぁ、富士急で元気に復活することを祈ります!!!




あー、横浜線終電の時間が迫って、EF641000番台、番号確認できず!!

2014年3月15日土曜日

さようなら!!「あけぼの」

「あけぼの」最終日。
と言いながら、鉄道模型の写真ですいません。

2014年3月14日、ブルートレインがまた一つ消えました。

ボクがはじめて乗ったのは、ブルートレイン「瀬戸」。
1997年、大学受験で東京に来たとき乗車しました。
列車は高松~東京ですが、ボクは実家の岡山~東京間で乗車。
EF65+24系25型、特徴あるラウンジカーが連結された編成でした。
何度かブルートレイン「瀬戸」には乗車しましたが、その後、1998年に「瀬戸」は285系電車化されました。

「あさかぜ」
「瀬戸」以外のブルートレインで、かなり乗りやすい時間に岡山発着のため、帰省の際にたまに乗っていました。
2004年1月3日こちらも帰省の際に乗車。
「あさかぜ」は2005年3月廃止になりました。

「出雲」
2004年11月乗車。
伯備線経由の「サンライズ出雲」が出来た後も山陰線経由で残っていたブルートレイン。
ディーゼル機関車DD51に牽かれて、ローカルな山陰本線をトコトコ(ノロノロ?)走る、とても素晴らしい列車でした。
この頃既に「出雲」の食堂車は営業しておらず、休憩室?ラウンジカー?代わりに人のいないオシ24が連結されていました・・・。 

「さくら」。
由緒正しき名列車ですが、九州行きブルートレインは、岡山通過が深夜なのでなかなか乗れず、結局廃止の噂が流れてからの送別乗車になりました。すでに「はやぶさ」と併結になった後です。門司にて。
2006年2月乗車。2006年3月廃止・・・。

急行「銀河」
ブルートレインを牽くために生まれてきたと言ってよいEF65PF最後の定期ブルートレイン。
いや、寝台急行だからブルートレインと言っちゃだめかなwww?
2008年3月13日乗車、2008年3月15日廃止。

「ふじ」「はやぶさ」
最後の九州ブルートレインになるとは思ってもいませんでした。
2009年3月乗車、同月廃止。

「北陸」
北陸新幹線が完成するまでは走り続けてくれると思っていたのに・・・
2010年2月乗車、2010年3月廃止。

そう、「あかつき」「なは」その後の「日本海」など、大阪発のブルートレインは全く乗れないまま、廃止になってしまった。。。

今回、仕事やら何やら・・・「あけぼの」にも乗れずじまい・・・

さようなら、「あけぼの」・・・





2014年3月4日火曜日

ヨヨヨ!

八王子、ヨが2両着いてました。
ヨとは、「しゃしょう(車掌)」の、「よ」!
ひと昔前、貨物列車の最後尾には、必ず車掌車「ヨ」がくっついていました。
今、車掌車の連結は、省略され、重量物輸送や、甲種回送等の一部列車のみ車掌車がつきます。
今日は、恐らく何かの特別列車の為の送り込み回送でしょうか!?ヨ8642、ヨ8925の2両が、タキ43000系石油輸送列車の後ろに付いていました。

2014年2月20日木曜日

横浜線E233系6000番台初乗車!

鉄ちゃんとしては、国鉄型205系がいなくなるのは寂しいのですが、通勤者としては、やはり、快適になるんだよなぁ。。。

車内に案内画面があるから、今どこにいるか、わかりやすい。
(特に横浜線は、似たような車窓が続くしwww)
車内が静か。
(205系の連結部は、なんであんなにうるさいの?)
車内が多少広い。
(通勤型も裾絞りが一般的になったなぁ。。。)
座席がちゃんと一人分に別れている。
(手摺もあるし。205系は、7人掛けで、7人座った時、狭いとき、広いときの差が。。。誰かの尻が大きすぎ!?)

2014年2月17日月曜日

八王子は、雪国

雪で週末の予定がボロボロでした。
山梨、長野等内陸部では、雪による甚大な被害を被っているようです。一刻も早い復旧をお祈りいたします。
また、雪の中で東急東横線の追突事故。
鉄道マニアとしても、信じられない事故で、先週の雪の中でもがんばっていた東急の姿を見ているだけに、とても胸が痛みました。

実は、土曜日午前中、JR東日本田端運転所で、ブルートレイン「あけぼの」ゆかりの機関車撮影会に参加する予定でしたが、見事に雪で中止・・・泣。
今回は、EF64、EF65、EF81の並びが見られると期待していただけに、ガックリでした。

横浜周辺は、道路の雪はかなり溶けましたが、八王子は、正に雪国!!
中央線の甲府付近が今も不通で、中央線貨物が立ち往生している状況です。
編成中に、日本オイルターミナルから、日本石油輸送に移籍した、タキ1000-12の姿が。
登場時のラインも矢羽根も無くなり、タキ43000かと見間違う質素な姿。
しかし、JOTと日本石油輸送って、お互い移籍しあって、どういう基準なんでしょうか??

2014年2月15日土曜日

岡山港県営上屋のこと(岡山臨港鉄道の話題) ~その4~

丸正製粉に引き込まれた岡山臨港鉄道側線は、岡山臨港鉄道倉庫に至り、そこで終わります。
しかし、空中写真を見ていて、ふと気が付きました。
国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省 昭和55年岡山より。

岡山臨港鉄道倉庫に至った線路のちょうど直線の延長線上に、岡山県営上屋があります。
しかも、東側の搬入口がちょうど直線の延長線上です。

ここからは、あくまでもボクの推測ですが、岡山県営上屋が建設された当時、岡山臨港鉄道の線路を岡山県営上屋まで延伸する計画があったのではないだろうか?

岡山県備前県民局岡山港管理事務所ホームページに「岡山港のあゆみ」というページがあります。
岡山港県営上屋は昭和42年~昭和45年にかけて建設されました。
ちなみに県での正式名称は「福島地区A~C棟上屋」というようです。

岡山県岡山港管理事務所ホームページ

実は、ボクの父親は、岡山県営上屋の建設時、電気設備工事に携わっていました。
しかも、若き日の父は、屋根上での作業中に出来立てホヤホヤのスレート屋根を踏み抜いて破ってしまう、という大失敗をしたそうです。
父が落下していたら、あわや大惨事、ボクもこの世に生まれていなかったという・・・。
そんな逸話があるので、ボクが岡山県営上屋について、ここまで熱く語っているのですがwww
岡山県営上屋「福島A棟」2007年撮影
左が東側で、岡山臨港鉄道倉庫からの直線上になる。

鉄道貨物は昭和39年頃に輸送量がピークでした。
県営上屋建設計画段階では、岡山臨港鉄道による貨物の輸送を想定していましたが、その後、鉄道貨物が衰退し、トラック輸送が主流となる中で、結果として線路が敷設されなかったのではないでしょうか。

岡山臨港鉄道本線の終端にも倉庫があり、こちらは臨港鉄道の側線が実際に敷設されました。
しかし、晩年は、全く貨車が入っていませんでした。

岡山臨港鉄道本線の末端部分は、ネコ・パブリッシング刊
「新・消えた轍9 中国」の岡山臨港鉄道のページに写真があります。

最初の文章で紹介しましたが、三井製糖引込線の末端もかなり長い距離で延伸された線路が敷設されていましたが、恐らくあまり使用実績が無いまま廃止になったと思われます。

県営上屋までの直線上には、岡山臨港鉄道現役時代から現役建築用の海砂を荷揚げする、旧瀬戸内海砂利、現三洋建材の大きな砂山があり、現実的に線路計画地は分断されていました。
三洋建材のショベルローダー 2007年撮影

瀬戸内海砂利時代は、もっと巨大なショベルローダーがいて、幼少時代のボクは、その働く姿に見とれていましたwww
その後、県営上屋までの海側には、玉島海運、日本通運の敷地が並び、荷役用のステキなクレーンが並んでいます。

県営上屋の一番南の端は、岡山港湾運送。
最初にお話した、三井製糖の原料糖を荷揚げする、岡山港でも一番立派なクレーンが、天を貫く勢いで、堂々と設置されています。
岡山県営上屋「福島C棟」と岡山港湾運送クレーン

もしも、ここに線路があったなら・・・

例えば、港町横浜の高島貨物駅の全盛期の空中写真を見てみましょう。

ちなみに、高島貨物駅は、今の横浜駅東口からみなとみらいに至る場所、ちょうどみなとみらい線の新高島駅や109シネマズからアンパンマンミュージアムに至る辺りにありました。
高島機関区を併設した広大な貨物駅で、辺りの埠頭の隅々に何本も貨物側線が伸びていました。
今は、たった一本の貨物線が走るのみ、みなとみらいの再開発で周辺は、見事に変貌しています。
国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省 昭和52年横浜より。

その東高島から伸びる埠頭のひとつの空中写真。並ぶ倉庫に貨物側線が走り、貨車が止まっています。

もし、岡山臨港鉄道が岡山県営上屋倉庫まで延伸されていたら、横浜ほどの規模ではないものの、似たような光景が展開されていたのかもしれません。
岡山県営上屋「福島A棟」2007年撮影

自分の推測が現実なら、カラーコーンが倒れている辺りに線路が計画されていて、荷物の搬入口に貨車が横付けされているであろう。。。
実際、岡山県営上屋への搬入は、海側の搬入口を中心に使われており、搬入口前は舗装もされていないため、「ここは昔の鉄道用搬入口だったんだよ」と言われても信じてしまいそうな雰囲気があります。
(我々廃線鉄道跡をたくさん見た者が感じるいわゆる「線路の臭い」と言うヤツwww)

それに、岡山臨港鉄道があったせいか、いまでも岡山港周辺はたくさんの倉庫代わりの貨車の廃車体があります。
岡山県営上屋「福島A棟」前の白く塗られたワラ1と思われる廃車体。
日本通運敷地にあるワム80000杯車体。
ワム86867番なので、1967年製。走行安定対策前の比較的初期車にあたる。


現実の鉄道貨物が衰退し、岡山臨港鉄道が廃止された今、敷設されなかった線路がある光景を思い浮かべる・・・
嗚呼、なんという遠く遠い、(そして、まったく無駄なwww)想像なのでしょう!!!

計画のみで敷設されなかった鉄道は全国にたくさんあります。
そんな幻の鉄道を求める楽しさを、岡山臨港鉄道と県営上屋というミクロな視点で書いてみました。
ボクの推測と夢想ごっこにお付き合いいただいた文章でしたが、いかがでしょう?