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2020年5月9日土曜日

岡電にもいた!正面窓下方向幕の路線バス

岡電バスの廃車体である。撮影は1998年頃。
詳細な場所は伏せるが、岡山から北へ進む国道沿いの比較的目立つ場所に、長年放置されていたので、ご存じの方も多いかもしれない。
岡電バスといえば、西工のカマボコが有名だが、この車両のような、観光バス格下げ車を思わせる、前面窓下方向幕、メトロ窓の車両も少数ながらあった。
ボクも幼少時代、何度か乗車した記憶がある。
当時、岡電バスは、「岡電観光バス」も運営していたから、観光格下げ車なのだろうか?(岡電バスは1998年に一旦貸切バス事業から撤退、その後、2003年に復活)
同じ両備グループの両備バスは、三菱B8型等の観光格下げ車を多数運行していたのだが、岡電は少数派であった。
両備バスの観光格下げ車については、やんたけさんが、雑誌「高速有鉛」にてたくさん記載しております!
http://neoclassic.jp/index59.html

貴重な写真で、「左官屋さんの別部屋」さんの記事の中に、「西工41MCボディ架装の三菱ふそうB806N」廃車体の写真が掲載されている。
https://music.ap.teacup.com/sakanya/603.html
「左官屋さんの別部屋」さんの写真は、方向幕が大型化されていないので、貸切仕様のまま、廃車になったのであろうか?
 後ろから見ると、テールライトの形状から、やはり車体は西工(西日本車体工業)か?
 見え辛いが、ドアは前と中央にある。
(隣の三菱T951系のトラックも今となっては非常に貴重だが、これ以上敷地内に踏み入れることは避けた)
この後、岡電では、1983年に、前後扉、メトロ窓の西工路線車両を導入している。
推測だが、岡電バスには、簡易的な貸切の需要がある程度あったので、路線と貸切の両方に使用可能なバスを導入する実績があったのではないだろうか?
(かく言うボクも、小学校のころ、近距離の遠足で、岡電の路線バスを貸し切った記憶がある)

※オマケ!!
同じ敷地内にあった、日産キャブオールの高所作業車。
昔、トミカで持っていた、おなじみの車両でしたが、実物は既に希少な型でした。

2018年4月1日日曜日

バス停「北浦渡船場」

岡電バス、バス停「北浦渡船場」。
岡山に帰った際、現在の「北浦渡船場」バス停の写真を撮ってきました。
先日のブログ「福島・中央市場線 午後回り最終日」でも触れましたが、岡山臨港鉄道「岡山港」駅の近くにあり、「渡船場」とは、児島湾の締切堤防完成以前に岡山港から児島湾を渡る船が出航していた港の証。
「北浦」は、岡山港を挟んで児島湾の対岸の地名であります。
背後に写る山は、児島湾の対岸にある金甲山です。

写真家、柴田秀一郎さんの「バス停留所」という名写真集があります。
なんでもない日常風景の中に、1本のバス停が立っているだけで、そこから人間の温かみ、ドラマが見えてくる、すばらしい写真集です。

何となく、岡電バス「北浦渡船場」も、寂れた港の、荒涼とした風景の中にポツンと傾いて立つバス停ですが、その歴史を刻むバス停名と共に、何となく絵になるバス停、と思うのは、ボクだけでしょうか??
「北浦渡船場」正面からだとこんな感じ。
反対方向を望む。


ちなみに、昔は岡山港の工場への通勤路線、更に昔は、小豆島フェリー航路の連絡路線、そして更に昔、岡山臨港鉄道と共に、児島湾岸への渡船の連絡路線であった11系統「福島・中央市場」行も今や朝夕5本のみ!!(土日運休!!)
「北浦渡船場」での乗降客は、一日何人あるのでしょうか??
背景にあった岡山港湾運送のいすゞ「ギガ」と「810型」(写真左端と左から3番目)のダンプトラックを。「810型」も1994年にギガに移行しているので、もう20年になるのですね。
岡電バス「北浦渡船場」バス停のお話でした。

2018年2月18日日曜日

岡電バス 住吉宮線

岡電バスのローカル路線に目覚めるきっかけとなった、系統番号91番「住吉宮」線。
秋の黄金色の田んぼと旭川の土手を走る写真です。
終点の住吉宮は、ボクの家からもギリギリ徒歩圏内で、小学校の頃、学区外ながらも何度か住吉宮の祭りには出店を求めて遊びに行ったこともあります。
天満屋から、市街地を走るのですが、そのルートは大通りを避けるかのような狭隘路線、岡山表町の古い映画館街「千日前」の裏通りを経由し、一旦岡南営業所で大通りに出ますが、その後、旭川の土手まで、車とすれ違うのにも苦労する路線。
旭川の土手に出た後は、「岡山製紙」の工場の脇を通り、風景は開けますが、終点まで土手沿いののんびりした光景が広がっています。
エアロミディMK ナンバー32-97番 社番907号車 908号車(修正いただきました)。

別の日、夏空の下を走る、上り天満屋行。ナンバー32-99番 社番909号車 910号車(修正いただきました)。
写真に写る旭川に船が係留されていますが、これは、不法係留の船。今は一掃されましたが、当時は当然のように、たくさん係留されていました。
もう一枚、春の咲き乱れる菜の花と共に。菜の花がバスにかかっちゃいましたが、住吉宮行。ナンバー32-99番 社番909号車 910号車(修正いただきました)。
一日5往復か6往復だったと記憶しています。
こののんびりした空気を感じたくて、何度か乗りましたが、この住吉宮線も1999年に休止→廃止となってしまいました。。。

2018年2月17日土曜日

岡電バス 神道山線

岡山のバスが揺れている。

両備HDがバス31路線廃止届 背景に過当競争 状況次第で撤回も

緊急発表 (平成30年2月8日午前) 
全国の地域公共交通を守るために、敢えて問題提起として赤字路線廃止届を出しました。

今回の岡電バスの廃止届の中に気になる路線があった。
「神道山」(しんどうざん)線である。
現在の神道山線は、岡山駅西口を起点として、途中まで尾上線と共通路線として運行、平日2往復のみ!土休日4往復のみが神道山に乗り入れるようである。
実は、この神道山線、1999年まで、NTT前を起点として運行される路線で、1999年に一旦休止となった路線であった。
(参考にさせて頂いたのはこちらのページ)さよなら 神道山線&住吉宮線

トップの写真は、1996年ごろ、終点「神道山」にて。エアロミディMK 32-98番、社番909号車。
高島屋の袋を持ったおばあさんが降りてきているから、ボク以外にも終点まで乗る人がいたことがわかる。当時は恐らく5往復くらいあったと思うが、次にブログに書こうと思っている住吉宮線と記憶がごっちゃになっているかもしれない。

とにかく当時から、岡電バスの中でも本数が少なく、中型バス「三菱ふそうエアロミディ」専用で運行される狭隘路線を通る「ローカルバス」であった。
今でもローカルバスは好きだ。しかし、ローカルバスは鉄道ローカル線以上に乗り難い。何しろ本数は少ないし、1本逃せば、当然その他に交通機関は無い場合が多い。
岡山で、比較的安全に!?ローカルバスの雰囲気を味わえる路線が、この「神道山」線と「住吉宮」線であった。
田んぼの中の狭隘路線を走る、ローカル路線ぽい写真が撮りたくてこの写真を撮ったが、高校生の当時、この写真を撮った後、結局ここからひたすらこのバス路線を徒歩で戻ったのを覚えている。。。

2018年1月4日木曜日

福島・中央市場線 午後回り最終日

2018年、新年あけましておめでとうございます!
今年もブログ浜鷹臨港鉄道は、誰も待っていないけれど、ボクが残さなきゃ、誰も残さない情報をモットーにゆるゆる更新して参ります!!
さて、2018年一発目の画像は、1993年9月、岡山電気軌道、通称岡電バスの西日本車体工業58MCの画像です。
窓が逆T字になった後期車両、ナンバー34-60番なので、社番916号車。
岡山臨港鉄道の最大のライバル、と言いますか、岡山臨港鉄道がずっと負けっぱなしだった、岡電バス旧11系統「福島・岡山港」線。現在の「福島・中央市場」「福島・築港元町」線です。
このブログの一つのテーマが岡山臨港鉄道なのですが、まぁ、ボクの最寄り路線であり、通学等々毎日のように乗っていた路線であり、ボクを岡電バス好きに導いた路線ですのでご紹介します。
さて、中途半端に橋の欄干でバスが隠れたこの写真の何がスゴイかと言うと、現在の「福島・中央市場」線も、同じルートをたどるのですが、この写真と逆方向に回っているのです!!!
あと、この写真に1990年代まで残っていた、岡山臨港鉄道の8キロポストが写っていること。
これは、別日の「8キロポスト」写真です。
岡山臨港鉄道廃止後、通称11番川河口を渡る「臨港橋」の手前に、2000年頃まで残されていましたが、その話はまた別の機会にしましょう。

そうなのです。
1993年9月19日まで、岡電バス「福島・中央市場」線は、「平福小学校前」の停留所を出た後、「午前回り」「午後回り」で、午前は時計回り、午後は反時計回りの路線を回っていました。

旧11系統「福島・岡山港」線は、現在新岡山港から出ている、小豆島、土庄港へのフェリーが、旧岡山港から出ていた頃の連絡バスとしての使命を帯びた路線でした。
「午後回り」ナンバー35-95番なので、社番927号車、岡山港での写真。
この車両も窓が逆T字になった後期車両、トミーテックからモデル化されたお馴染みの車両ですねw
実は、この写真に写る道路の凹みも、岡山臨港鉄道の中央市場に至る線路跡なのです!!!
その昔には、旧系統番号10番「特急岡山港」行バスなども運行されていました。
そして、岡山臨港鉄道がそうであったように、岡山駅から岡山港にあるクラレ、同和鉱業等の工場への通勤路線でもありました。
「午前回り」「午後回り」を設定することで、午前は岡山駅→クラレ方面の通勤客を速達しつつ、ベッドタウン化しつつあった岡南元町・千鳥町の客を岡山駅に速達することができたのでした。(ボクもそんな恩恵に与った通学客でした)

1993年9月20日、

(1)小豆島行きフェリーが新岡山港発着になったこと

(2)マイカーの普及により、岡山港への通勤客輸送の使命が薄くなったこと

(3)そして、最も大きな要因として、岡南大橋の開通により、岡山循環線の一部県道45号線が開通したこと

により、「福島・中央市場」線は、短絡線である「福島・築港元町線」を開設し、「午前回り」の回り方のみとなり、現在に至ります。

更に申し上げると、現在でも写真付近の停留所名が、「北浦渡船場」なのですが、これは、児島湾の締切堤防完成以前に岡山港から児島湾を渡る船が出航していた港の証。
岡山臨港鉄道でさえ、1973年には、児島湾渡船場連絡駅「岡山港」駅を廃止したにもかかわらず、現在も「北浦渡船場」の停留所名が残っているのはすごいことと思います。
こちらは、ボクの家の最寄りだった「千鳥町」バス停。
今は廃止された「午後回り」バス停です。
系統番号10番「福島・築港元町」開設のお知らせと新時刻表。
ラッシュ時間帯の7時台に8本の設定が、通勤路線としての需要の多さを物語っています。
確か、築港元町線開設前まで、午前中に1本、乗ったことはありませんが、「岡山駅→クラレ直行便」が1本残っていたような。。。
こちらの写真は、最終日の9月19日、平福小学校前バス停から、旧南警察署前、現在の三浜町バス停に回ってくる、午後回り便。
現在の路線図を見て、「南警察署前」が「三浜町」に変わったことを知りました。
てか、ボクの乗っていた頃から南警察署はとっくに現在の位置に移転していたのですが。
西工58MCナンバー29-94、社番886号車。
同じく最終日、午後回り便の止まる、千鳥町バス停。西工58MCナンバー29-07だから、社番878号車です。
さらにこの頃のボクは、午後回り最終便の姿を捉えていますwww
福吉町バス停付近、西工58MC番号不明「岡南営業所」行、午後回り最終バスですwww
午後10時33分!
当時ボクは中学生。
中学生としては、とても遅い時間に、闇夜で寂しくバスを待っていたことを、今でも記憶しています。

ということで、今回は、岡電バスの話題でした!!
今年もよろしくお願いします!

2017年12月26日火曜日

岡電バス 西日本車体工業58MC


2012年、クラレ岡山工場前での岡電890号車。突然教習車として走ってきたので急いでカメラで捉えた、奇跡の一枚。
ボクは「福島・岡山港」線で通学していたので、ここで西工58MCを写真に収めることができたのは、感動もひとしお。。。
この何年か後、この子を結婚式で貸切ることになるとは夢にも思っていませんでした。
そして、今(2017年12月)でも890号車が現役であることに奇跡を感じます!!

2013年6月25日火曜日

BUSRAMA138号に掲載されました!!


5月19日の岡山での結婚式で、岡山神社から岡山プラザホテルへの移動に、岡山電気軌道に残る最古参の三菱ふそう/西工58MC路線バス(岡電バスNo.890号車)を貸し切りいたしましたが、歴史あるバス雑誌「BUSRAMA」138号(2013年7月号)にて、掲載していただきました!!
ぽると出版様、ありがとうございます!!
ぽると出版様リンク
私たちとしても、本当に記念に残る思い出になりました。

改めまして、安全運転と、非常に温かいおもてなしを頂いた、岡山電気軌道ご担当者様と、運転手様に厚く御礼を申し上げます。

みなさま、本当にありがとうございます!!