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2022年1月15日土曜日

2022年寅年!今、「トラ」に会える場所は??

遅くなりましたが、2022年あけましておめでとうございます!!

寅年の今年、鉄道ファン、特に、貨物列車マニアのみなさまのSNSでは、お約束通り!?「トラ」の画像が並び、ボクもいくつか掲載させていただきましたw
上の写真は、1997年根岸駅ホームからのEF6531号機と「塩トラ」トラ70000形です。

蛇足ながら解説しておくと、「トラ」の「ト」は、貨車の用途記号で「無蓋車」、「ラ」は積載重量記号で17~19トン積みという意味ですね。

この「トラ」形式の無蓋車による最後の定期運用を調べてみると、トラ70000形を主とする(晩年は一部、トラ45000も使用されていたそうです)による、神奈川臨海鉄道本牧駅の国際埠頭線から、群馬県渋川駅までの工業塩輸送で、2003年にコンテナ車に置き換えられて終了。(その後、国際埠頭線の輸送自体が2005年に休止)

高島町付近を通過する、塩トラの動画も撮影していました。

この塩トラ輸送の本牧駅や国際埠頭線での現役時代の写真は、ハマちどりさんの「ハマちどり写真帖」に詳しく掲載されています!

ハマちどり写真帖「なつかしの塩積トラ【鉄道貨物】」


その前年までは、室蘭にある、陣屋町臨港線のトラ90000形によるチップ輸送も残っていました。
(2002年ワム80000を改造したワム480000形に置き換え、さらに2008年にはチップ輸送自体終了)

その後も一部のトラ45000は、臨時輸送に細々と運用されていました。
ちなみに、トラ45000形の中でも、最後まで残ったのは床板を木製に、妻板を平板に交換改造した145000番台車です。

1997年、川崎貨物駅(川崎車両所)にて、トラ145270。

代表的なものでは、川崎貨物駅から千葉貨物駅間の車軸輸送や、常磐線友部駅を起点とする、機関車の滑り止め砂撒き用の砂輸送(旧東京機関区のあった品川や、田端機関区などに運んでいた)、首都圏を離れると、JR貨物広島車両所にいた、グリーンの配給用トラ145000が有名でしたね。

また、数年前までは、1年に数回、JR貨物に残ったトラ45000形(主に名古屋東港駅常備車)や、普段はレール輸送に使用されている「チキ」(長物車)により、自衛隊機材輸送列車が運用されたりしており、ボクとしては、日本の国防的な「非常時」に備えて、必ず「トラ」や「チキ」は残しているのかな?なんて推測したりしていました。

ところが、調べてみると、2015年頃を境に、この「トラ」による配給輸送や自衛隊資材輸送が見られなくなったようです。どうも、2015年頃、JR貨物に最後まで残っていたトラ145000は、川崎貨物駅や、名古屋臨海鉄道東港駅で解体されてしまったらしいですね。
ボクも調べるまでは、「川崎貨物駅か名古屋東港周辺に行けば、今でもトラに会えるよ~!」と締めようと思ったのだがそうもいかなくなったみたいです。

実際の動物「虎」も絶滅危惧種と言われているが、貨車の「トラ」も日本では絶滅危惧種になっちゃったのですね・・・悲。

それでも、2022年寅年に「トラ」に会いたくなったら・・・
実はJR貨物以外で生き残っている「トラ」がいた!

まずは、JR四国「しまんトロッコ」号!!
トロッコ列車用として、旅客用に改造され、屋根や椅子、貫通扉を取り付けて、現在は水戸岡鋭治氏のデザインによりイエローに塗られてはいるが、あおり戸や妻面の一部に無蓋車の面影が残っており、形式も、改造前の「コトラ152462」のままであるのがうれしい。
機関車ではなく、キハ54牽引ではあるが、2軸車独特のジョイント音を聞きながら、四万十川沿い予土線の絶景を味わってみたいですね!
冬季は運休中なので3月の運転再開を楽しみですw

JR以外では、南阿蘇鉄道と、平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線に、トラ70000形改造のトロッコ列車が走っています。

残念ながら、外観はかなり改造され、かろうじて台車、台枠部分に面影が残る程度である。しかし、南阿蘇鉄道は2016年の熊本地震で甚大な被害を受け、今も立野~中松間が運休中であり、鉄道ファンとしては、復旧応援のために、ぜひ乗りたいですね。

また、門司港レトロ観光線は、ボクとしては、「田野浦公共臨港線」として、DD51牽引のセメント列車が、平成筑豊鉄道金田まで発送していた当時、訪問した懐かしい線。

貨物輸送が盛んだったころの臨港線の雰囲気を多く残しており、しかも、牽引する機関車は、協三工業製片流れ屋根の国鉄F6形貨車移動機。
正に鉄道貨物全盛時代には乗ることができなかった、無蓋車「トラ」に実際に乗って雰囲気が味わえるのではないでしょうか。

南阿蘇鉄道は、3月19日から11月27日の土曜、日曜、休日、平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線は、1月8日より土曜、日曜、祝日に運転しているようなので、運転日を確認した上で乗りに行ってみたいです。

2022年、トラ年に会える、動いている「トラ」について、まとめてみました。
この他、いくつかの保存車は承知しておりますが、もしかしたら今でも解体されないで、貨物駅や車両基地の片隅に眠っている「トラ」が残っているかもしれません。
もちろん、くれぐれも、無断で敷地内に立ち入ったりしないように、もし、隠れた貴重な「トラ」を発見されたら、ご報告下さいませ。

2021年11月7日日曜日

伯備線貨物列車~その2~



「サンライズ出雲」、特急「やくも」に乗って、岡山に帰った翌日、岡山県北にある、家のお寺を訪ねたりしながら、ドライブがてら新見駅に寄り、新見駅近辺で伯備線貨物列車3082レを撮影してきました!

・・・と、軽く書いていますが、一日に数本の貨物列車、マニアの方が作成してくれた、伯備線のダイヤグラムをプリントして、お寺参りの時間や、同行してくれた親に無理させない範囲で、運転しながら、撮影場所と時間をずっと頭の中で追いかけながらの行程でした。
(仏様、母上、ごめんなさいwww)
そんな、時間も行動範囲も制限がある中、柵が邪魔!!しかも、微妙に、貨物列車のお尻まで写っていない!!!
・・・鉄道写真としては、非常に下手くそな写真ですがご容赦願います。涙

しかし、牽引機関車は、愛知機関区EF641034号機、国鉄色が見えた時には、本当に嬉しかったです!!
既に、たくさんの方が、伯備線貨物列車を追いかけて、伯耆大山や中国山地の山並み、高梁川などの渓流を組み合わせて、素晴らしい写真を残してくださっておりますが、改めて、その努力に頭が下がります・・・

伯備線貨物列車の歴史については、前BLOGに書きましたが、

伯備線貨物列車~その1~

蛇足ではございますが、ボクが鉄道模型で再現した伯備線貨物列車です。
SLの運転が終了し、DD51ディーゼル機関車になった頃の伯備線石灰貨物。
非電化時代の特急「やくも」キハ181系ディーゼル特急との交換。
DFアローさんの「伯備貨物小史」によると、セキ6000形の連結は、1975年頃には終了したそうです。ということは、伯備線非電化時代の普通列車が朱色一色、首都圏色になり始めた頃(※首都圏色は、1975年相模線のディーゼルカーから始まった)には、セキ6000形の連結は無くなっていたことになり、普通列車の交換を再現してみる。
先輩のみなさまが撮影された、伯備線非電化時代の普通列車に必ずと言ってよいほど連結されていた、キユニ18形は、TOMIX製キユニ17で代用。
10系気動車の狭幅断面の凸凹感がいかにも「ローカル線気動車!」という感じでステキ!

そして、ここからは、現実には無かった組み合わせなのですが・・・
もしも、伯備線石灰貨物の牽引が、電化によりEF64形電気機関車に置き換えられたら・・・

伯備線は、1982年に電化されました。特急「やくも」は直ぐに電車化され、381系振り子式特急電車に置き換えられました。
普通列車も多くは115系電車に置き換えられ、貨物列車も、岡山(倉敷)~米子(伯耆大山)間を直通する列車は、EF64形電気機関車により置き換えられました。

しかしながら、足立駅発の石灰貨物は、1986年の廃止時まで、DD51形ディーゼル機関車の牽引だったようです。
詳しい理由は、ボクは知りませんが、同じく新見までの朝夕のラッシュ時に設定されていた、50系による客車列車も最後までDD51牽引だったようなので、国鉄時代の伯備線区間運用は、岡山機関区のDD51が非電化時代のまま運用されていたようです。
(1987年の国鉄民営化、JR以降、岡山機関区にDD51の配置は無くなっています)
途中駅での入れ換え等には、ディーゼル機関車の方が都合がよかったのでしょうか?
EF64牽引の石灰貨物と、381系特急「やくも」の交換。
ホキ7000とEF64の組み合わせも、なかなか似合っているではありませんかwww!
もしも、民営化後、JR時代まで石灰貨物が継続していたら、この組み合わせも現実になったかもしれませんねw

そんな鉄道模型ならではの、妄想の組み合わせをお見せして(と言いますか、ボクとしては、KATOの「伯備線石灰貨物セット」を購入した時から、EF64に牽かせたかったwww)
今日はこの辺で!





伯備線貨物列車~その1~

岡山の少し古い家には、必ずと言ってよいほど飾ってある写真があります。
ボクはその写真を持っていないので、絵を描いてみました。

1973年、伯備線布原信号所の鉄橋を走る、蒸気機関車D51三重連の写真。
当時、全国的にも少なくなりつつあった蒸気機関車に、一種の「郷愁」を求めてか、鉄道マニアのみならず、老若男女問わず、「SLブーム」が巻き起こります。

その対象として、日本全国でいくつかの有名SL撮影地(お立ち台)に、非常にたくさんの人が集まることになりましたが、その一つが、この伯備線布原信号所(現在は布原駅)鉄橋でした。
この貨物列車をもう少し詳しく説明すると、D51三重連が牽引していたのは、布原からさらに2駅伯耆大山駅寄りにある足立駅の「足立石灰工業」から発送される、セキ6000形、ホキ7000形による石灰石でした。

前BLOG、381系特急「やくも」に乗ってきました!でも掲載しましたが、足立駅の専用線は廃止になりましたが、「足立石灰工業」さんの工場は、いまでも盛業中ですw

発送先は、兵庫県の姫路から瀬戸内海方向に分岐していた、通称飾磨港線(正式には播但線の一部)の終点、飾磨港駅の日本製鉄瀬戸内製鉄所でした。

当時のD51三重連から、石灰石貨物廃止までの伯備線貨物の歴史と、素晴らしい写真が掲載された、DFアローさんの「伯備貨物小史」をご紹介させていただきます!


伯備線には、現在でも、伯耆大山駅まで、定期3往復、臨時を入れると4往復の貨物列車が設定され、伯耆大山にある王子製紙米子工場の貨物を主として、陰陽連絡幹線として、伯耆大山に集約されたコンテナ貨物を、国鉄型電気機関車EF641000番台牽引で、運んでいます。
少し前まで、米子駅に隣接した米子貨物駅を起点として、様々な車扱貨物や、最近でも、コキ71によるカーラック輸送など、バラエティに富んだ貨物を見ることができました。

ボクも、地元岡山でもあり、幼少時から、高梁川に沿った中国山地の大自然を走る、魅力的な貨物列車を、何度か見てきました。
いよいよ、EF641000番台も新型機関車への置き換えの噂も聞こえてきましたので、改めて写真を撮りに行ってみました。

ということで、ここで次回に続く!





2021年3月17日水曜日

赤穂線西浜から山陽本線宝殿までのセメント貨物 ~その3~

 

姫新線東津山の住友セメント包装所(S.S.)
1995年頃撮影。既に線路はありませんが、トラックが入り、施設は稼働中でした。



山陽本線東岡山駅の住友セメント包装所。
建築資材を扱う会社の一角となり、盛業中でした。
1995年頃撮影。チラッと日野KF?ZM?のミキサー車が写っていますが、当時はまだ現役だったんですね!



赤穂線西浜駅の住友セメント工場から発送された貨物列車に関する記事の「その3」になります。

とはずがたり様のサイト「日本の鉄道貨物輸送と物流」を参考にさせていただきます。


本当にお世話になりっぱなしで、鉄道貨物に関する詳細な学術的研究には頭が下がる思いです。

その、「住友セメント」の項目を拝見すると、
西浜駅、住友セメント赤穂工場からの内陸の発送先は、

・江原(山陰本線)
・宝殿(山陽本線)
・東岡山(山陽本線)
・東津山(姫新線)
・西舞鶴(舞鶴線)

となっています。

江原駅と、西舞鶴には行ったことが無いのですが、Googleで検索したところ、江原駅にはセメントサイロが残っているのを発見しました!!行ってみたい!!!

ちなみに、「住友セメント」は、1994年に「大阪セメント」と合併し、「株式会社住友大阪セメント」となって、現在に至ります。


とはずがたり様のサイトにも書かれておりますが、
住友セメントは、1960年以降の正に日本の高度経済成長期、日本全国の各セメント工場を拠点に、「ゴールデントライアングル方式」!!という住友セメントオリジナルの構想に従って、工場からの最大輸送距離を120km前後とし、60km間隔の正三角形の頂点上に包装所(サービスステーションと称した)を配置、その間を鉄道貨物で輸送するシステムを確立したのでした。

これまでに紹介した写真の通り、住友セメント包装所は、細部は微妙に異なるものの、日本全国、ほぼ同規模、同仕様の施設が建設されました。
ボクが写した写真をご紹介すると、
神奈川県大船駅(東海道本線、2016年解体)

山梨県東花輪駅(身延線)

青森県川部駅(奥羽本線)

まだまだ、乗っている列車から見かけたりした記憶はたくさんあります!!
とにかくこの住友セメントサイロは、日本全国にほぼ同一規格のものがあるところが面白い!!
宝殿駅など、比較的遅く1995年まで、鉄道貨物輸送が残っていたにも関わらず、鉄道輸送の廃止をきっかけに、包装所としての役目も終えて、その後解体されたものも多くあります。
逆に、鉄道輸送は廃止されても、会社組織を変えながら、地域のセメント建設資材の貯蔵施設として、盛業中のものも、たくさん残っています。

嗚呼、日本の高度経済成長期の建設ラッシュの時代を支え、セメント工場から各施設まで、毛細血管のように、全国各地のローカル線の包装所に、住友セメントの貨車がセメントを運んだかと思うと、感慨もひとしおではありませんか!?

ところで、赤穂線、住友セメント赤穂工場の話に戻りますが、姫新線の貨物輸送廃止は、Wikipediaによると1987年らしいです。
ということは、恐らく東津山の施設までは、1987年頃まで鉄道貨物が生きていたのではないでしょうか?
ルートは、勝手に予測しますと、津山線はもう既に貨物輸送は廃止になっていましたので、

西浜駅→(赤穂線)→相生→(山陽本線)→姫路→(姫新線)→東津山

だったのではないかと考えられます。
姫新線で、DE10牽引の客車列車が残っていたことを考えると、
この写真のような、DE10牽引の姫新線貨物列車が走っていたのでしょうか!?
しんがりは、ローカル線っぽく、ワフ29500にしてみました!!

誰か、姫新線の貨物列車の写真をお持ちの方がいらっしゃれば、是非観てみたいです!!


2021年3月12日金曜日

赤穂線西浜から山陽本線宝殿までのセメント貨物 ~その2~

兵庫県内、姫路の3駅隣にある、山陽本線宝殿駅の住友セメント包装所の写真。


でご紹介した、赤穂線西浜駅発のセメント貨物の最後まで残った発送先です。
残念ながら、赤穂線貨物廃止直後の、1996年か1997年に訪問した時の写真です。
まだ、日立製10トンスイッチャー(貨車移動機)が残っていました。

実はこの宝殿の住友セメント専用線については、廃止間際の頃、姫路市にある株式会社小林写真館様が、映像を撮影し、なんと少量ながら、DVDとして発売されました。
何を隠そう、ボクも購入して持っているのですwww


いやぁ、こんなニッチな題材、貴重な映像を、よく動画として残してくれた・・・
そして、鉄道雑誌の片隅に掲載された紹介を観て、当時のボクもよく購入したなぁ・・・

内容は、EF65牽引によるセメント貨物が到着、セメント満載のタキ1900を入換えするD-101型、日立10t移動機、操縦するのは、2人のおばちゃん!!
小さなD-101が空転したり、夏の暑さでオーバーヒートしたり、ドキドキワクワク!?スリル満載!?
オマケに、最後には、操縦するおばちゃん二人へのインタビュー(というかほぼ、世間話・・・)付き・・・という豪華な内容です。

残念ながら、現在はほとんど流通していないようなのですが、非常に貴重な映像資料、小林写真館様には、有料コンテンツでも良いので、動画配信でもしていただけないものでしょうか??

2021年3月10日水曜日

赤穂線西浜から山陽本線宝殿までのセメント貨物 ~その1~

 
兵庫県の相生駅から、岡山県の東岡山駅まで、山陽本線の南側の小都市を結びながら走る、赤穂線。「赤穂浪士」で有名な「播州赤穂」や、片上鉄道の終点「片上」(片上鉄道が国鉄と接続していたのは和気駅でしたが)、日本刀の名刀「備前長船刀」の「長船」や、奇祭西大寺はだか祭りで有名な「西大寺」など、各駅毎になかなか特徴があり、ボクにとっては、なかなか魅力的な地元の電化単線ローカル線です。

この赤穂線、1995年まで、定期貨物列車の設定がありました。
最後は、住友セメント工場があった播州赤穂の隣の貨物駅「西浜」から、山陽本線「宝殿」までを結んでいました。

家で鉄道模型を走らせ始めて、岡山の実家に眠っていた鉄道模型もいくつか親に頼んで送ってもらいましたが、その中でも走らせたかったのは、この写真の、EF65一般型の牽く、住友セメントタキ1900貨物列車。

赤穂線のセメント貨物列車の雰囲気です。
実際は、タキ12両編成だったそうなので、半分の長さですが、雰囲気で!

ボクが持っている模型のタキ1900は、今は無き、河合商会製。
今では、KATOもTOMIXもタキ1900を精密な最新技術で模型化してくれているので、いつか住友セメント所有車も!と待っているのですが、まだ発売されません、、、
KATOやTOMIX製品もそこそこ高価なので、上手くできる自信も無いのに、会社名を書き替える改造も気が引けます。以前は小メーカーから、「住友セメント」の社名インレタも発売されていた覚えがありますが・・・。

親戚の家が、一時期、山陽本線「土山」(かつて別府鉄道の起点だった駅です)にあり、小学生から中学生の頃、山陽本線で何度か訪問したました。
その時に、当時から車窓にへばりついて、貨物列車などを変態的に観察していたボクは、「宝殿」駅に住友セメントの専用線があるのを見付けました!!
そして、インターネットも無い時代に、よく調べたと思いますが、その宝殿駅のセメント貨物の出発地が、赤穂線の「西浜」であることを知りました。
廃止前ギリギリ、1995年頃、赤穂線西浜駅(もう西浜信号所となっていたか?)の写真です。
背景の右側が住友セメント赤穂工場。
今思うと、何故ワム80000貨車がいるのでしょうか?
住友セメントタキ1900。

実は、このタキ1900が、貨物列車として、赤穂線内を実際に走行しているところは、ボクは見たことがありません!
WEBで探して、唯一、走行写真を掲載されていた、ル・シエルさんの「~いつか見た空~」BUOGのリンクを掲載させていただきます。


西浜駅の貨車についても書かれています。


実は、今でも、赤穂線の「天和駅」にある三菱電機専用線までのシキによる特大貨物については、一応不定期貨物の設定があります。
1995年頃、天和駅三菱電機専用線のバッテリーロコ。

最近では、2019年にシキ1000による特大貨物が走ったらしいです。

ところで、赤穂線のセメント貨物は、しんがりに、ちゃんと!?車掌車ヨ8000を連結していたらしいです。日本の鉄道貨物列車は、1985年以降、原則として車掌車の連結と列車掛(車掌)の常務を省略していきました。特殊な事情、例えば、紀勢本線鵜殿までの貨物列車などは、山中で列車無線が通じ難いエリアがあるということで、車掌車の連結をしていた例がありましたが、赤穂線は何故、最後まで車掌車が連結されていたのでしょうか?




2021年1月14日木曜日

倉吉線の混合列車を再現する・・・消えゆくローカル線 西日本、東日本(1981年桐原書店刊)

こちらのBLOG上では、2021年、あけましておめでとうございます!ですね。
2020年は、三菱エアロスターを所有する函嶺交通さんとの衝撃的な出会いなどありましたが、コロナ禍もあり、家族で実家である岡山に帰ることもできず、遠征もままならず、あまり鉄道活動、バス活動ができない一年でした。
モタモタしているうちに、鉄道界では、「国鉄型」車両が続々と引退前の最終段階に入っております。
今、会いに行きたい車両がたくさんあります。EF65、EF66、EF64、EF81型電気機関車を始め、DD51、DE10ディーゼル機関車も運用が瞬く間に縮小されています。
JR東日本地区のキハ40、47、48がとうとう全車引退しようとしています。
115系電車も、185系電車も・・・

そんな中で、久しぶりに鉄道模型を購入しました。
オハフ61とオハニ61。
早速、娘に手伝わせて、今は無き鳥取県倉吉線の混合列車をNゲージで再現してみました!
倉吉線は、山陰本線倉吉駅を起点に、中国山地の山守駅までの20kmを結んでいた、いわゆる「盲腸線」です。
当初の計画では、ボクも馴染みが深い、岡山県の姫新線「中国勝山駅」までを結ぶ計画もあったそうですが、モータリゼーションの進展とともに、頓挫、沿線住民も少なく、足が遅く本数の少ない鈍行列車のみの典型的赤字ローカル線で、やがて昭和60年には全線廃止となりました。

既に全国的にも珍しくなっていた、旅客と貨物を両方運ぶ、混合列車が走っていました。
さらに、昭和61年には全廃される、荷物輸送の合造車「オハニ」も連結しています。
DE10は2エンド側を前にして、ワム80000が1両、オハフ61は、車掌室が編成の内側に向いているのですね!
厳密に申し上げると、牽引機がC11からDE10に変わった倉吉線末期、荷物合造車は、オハニ36だったようです。
客車倶楽部過去ログ集~倉吉線のオハニ36
しかし、60系客車って、戦後旧式の木造客車を鋼体化した、椅子も狭く、椅子の背板はクッションが無く木張り!という、なんともヒドイ旧式な車両です。
国鉄60系客車 - Wikipedia

参考にした本は「消えゆくローカル線 西日本」(1981年桐原書店刊)です。
雪の伯耆大山を背に走る素晴らしい写真が掲載されております。

「消えゆくローカル線 東日本、西日本」は、ボクが小学生のころ、図書館で出会いました。
「東日本」は、宮脇俊三さんと諸河久さん、「西日本」は、種村直樹さんと荒川好夫さん、ボクにとって、小学校のころから憧れだった超一流レールライターと鉄道カメラマンがタッグを組み、国鉄再建法により、第一次地方特定交通線と認定された、全国のローカル線を克明に記録した名著!!
ボクも古書で何とか手入れて、今でも何度も読み返しています。
写真のすばらしさもさることながら、ゲストで寄稿している有名作家の「ローカル線賛歌」のエッセイの数々、そして、加藤登紀子さんも登場するフォトエッセイもすばらしい!!
現在、第三セクターとして生き残った路線もありますが、国鉄末期に消えてしまった鉄道の原風景を思い出させてくれる本です!

2020年4月29日水曜日

最後の石炭列車ホキ10000終焉~その2~

2019年5月30日扇町駅を出発するホキ10000形貨物列車の動画です。

前回のBLOGの続きになりますが、川崎市の鶴見線扇町から、埼玉県秩父鉄道三ヶ尻駅までの石炭輸送廃止のニュースは、ボクにとって、非常にショックでした。
本当に、鉄道貨物マニアであることを、止めてしまおうかと思うくらい、ショックでした。
廃止になるとは思ってもいなかった、2019年5月30日の訪問が最後になりました。
返送空車を牽いて扇町に到着。今日は、防音仕様のDE112002号機牽引です。


扇町駅のさきにある、三井埠頭専用線内での入換シーン。
石炭を積んだ列車の先頭に立ち出発です。

動画を撮影した、鶴見線昭和駅踏切を通過。

迫力ある、黒いホキ10000形。
昔ながらの力強い貨物列車の魅力を伝える列車でした。
この編成が、毎日、首都圏を縦断していたのです。

2020年4月4日土曜日

最後の石炭列車ホキ10000終焉

鉄道趣味雑誌は、チェックしているつもりだったのですが・・・
今回はチェックできていなかった。。。涙

【東京新聞】最後の石炭列車 惜しまれつつ幕おろす

秩父鉄道の石炭貨物列車が19年度末で廃止、国内最後の石炭貨物

ホキ10000による、扇町から熊谷までの石炭列車には、深い思い入れがあります。
この首都圏、大崎から、恵比寿、渋谷、新宿、池袋の副都心を、現在の埼京線=山手貨物線を、石炭を積んだ黒い貨車が貫いていく。

あの情景が、もう見られないなんて!!!

ちょうど上京した1997年から2000年頃、ちょうど渋谷のクラブで一夜を明かした朝5時過ぎに、山手貨物線を、石炭を満載した黒い貨車が轟音を立てて走り抜ける、夢のような光景が展開されました。

熊谷貨物ターミナルで、秩父鉄道に引き渡されて、三ヶ尻駅の太平洋セメント熊谷工場に石炭を運ぶ列車でした。

起点は、扇町の三井埠頭で、オーストラリア等からの輸入石炭を積み込んでいました。






これらの写真は、1997年頃の撮影。
実は撮影場所は、扇町の「三井埠頭」ではなく、その直前の昭和駅から分岐している東洋埠頭専用線。
当時、石炭の積み込みは、東洋埠頭専用線で行われていました。
東洋埠頭専用線には、昭和シェルの石油専用線も接続していましたが、2011年、昭和シェル扇町工場の閉鎖で線路も廃止になりました。

東洋埠頭専用線、昭和シェルの石油専用線の現役時代の写真が、掲載されています。

kyuukouechizenさんの「急行越前の鉄の話」
https://expechizen.exblog.jp/15917270/

ホキ10000の石炭貨物は、2020年2月末日で最終となった模様です。
また魅力ある貨物列車が無くなっていきます。
長い間お疲れさまでした。。。