思えば、EF65が好きで好きで、思い返すと4歳くらいから絵に描いていたから、もう36年くらい好きなのです。
まだ現役でいることに感謝。
ふとEF65への愛を描いてみたくなりました。
ボクの中で、「EF65くらい好き!」なんて言えるものが、いくつあるのでしょうか???
写真は2014年10月26日ELみなかみEF65-501を、横浜駅自宅周辺で撮影したものです。
2018年3月30日金曜日
2018年2月18日日曜日
岡電バス 住吉宮線
岡電バスのローカル路線に目覚めるきっかけとなった、系統番号91番「住吉宮」線。
秋の黄金色の田んぼと旭川の土手を走る写真です。
終点の住吉宮は、ボクの家からもギリギリ徒歩圏内で、小学校の頃、学区外ながらも何度か住吉宮の祭りには出店を求めて遊びに行ったこともあります。
天満屋から、市街地を走るのですが、そのルートは大通りを避けるかのような狭隘路線、岡山表町の古い映画館街「千日前」の裏通りを経由し、一旦岡南営業所で大通りに出ますが、その後、旭川の土手まで、車とすれ違うのにも苦労する路線。
旭川の土手に出た後は、「岡山製紙」の工場の脇を通り、風景は開けますが、終点まで土手沿いののんびりした光景が広がっています。
エアロミディMK ナンバー32-97番 社番907号車 908号車(修正いただきました)。
別の日、夏空の下を走る、上り天満屋行。ナンバー32-99番 社番909号車 910号車(修正いただきました)。
写真に写る旭川に船が係留されていますが、これは、不法係留の船。今は一掃されましたが、当時は当然のように、たくさん係留されていました。
もう一枚、春の咲き乱れる菜の花と共に。菜の花がバスにかかっちゃいましたが、住吉宮行。ナンバー32-99番 社番909号車 910号車(修正いただきました)。
一日5往復か6往復だったと記憶しています。
こののんびりした空気を感じたくて、何度か乗りましたが、この住吉宮線も1999年に休止→廃止となってしまいました。。。
2018年2月17日土曜日
岡電バス 神道山線
岡山のバスが揺れている。
両備HDがバス31路線廃止届 背景に過当競争 状況次第で撤回も
緊急発表 (平成30年2月8日午前)
全国の地域公共交通を守るために、敢えて問題提起として赤字路線廃止届を出しました。
今回の岡電バスの廃止届の中に気になる路線があった。
「神道山」(しんどうざん)線である。
現在の神道山線は、岡山駅西口を起点として、途中まで尾上線と共通路線として運行、平日2往復のみ!土休日4往復のみが神道山に乗り入れるようである。
実は、この神道山線、1999年まで、NTT前を起点として運行される路線で、1999年に一旦休止となった路線であった。
(参考にさせて頂いたのはこちらのページ)さよなら 神道山線&住吉宮線
トップの写真は、1996年ごろ、終点「神道山」にて。エアロミディMK 32-98番、社番909号車。
高島屋の袋を持ったおばあさんが降りてきているから、ボク以外にも終点まで乗る人がいたことがわかる。当時は恐らく5往復くらいあったと思うが、次にブログに書こうと思っている住吉宮線と記憶がごっちゃになっているかもしれない。
とにかく当時から、岡電バスの中でも本数が少なく、中型バス「三菱ふそうエアロミディ」専用で運行される狭隘路線を通る「ローカルバス」であった。
今でもローカルバスは好きだ。しかし、ローカルバスは鉄道ローカル線以上に乗り難い。何しろ本数は少ないし、1本逃せば、当然その他に交通機関は無い場合が多い。
岡山で、比較的安全に!?ローカルバスの雰囲気を味わえる路線が、この「神道山」線と「住吉宮」線であった。
田んぼの中の狭隘路線を走る、ローカル路線ぽい写真が撮りたくてこの写真を撮ったが、高校生の当時、この写真を撮った後、結局ここからひたすらこのバス路線を徒歩で戻ったのを覚えている。。。
両備HDがバス31路線廃止届 背景に過当競争 状況次第で撤回も
緊急発表 (平成30年2月8日午前)
全国の地域公共交通を守るために、敢えて問題提起として赤字路線廃止届を出しました。
今回の岡電バスの廃止届の中に気になる路線があった。
「神道山」(しんどうざん)線である。
現在の神道山線は、岡山駅西口を起点として、途中まで尾上線と共通路線として運行、平日2往復のみ!土休日4往復のみが神道山に乗り入れるようである。
実は、この神道山線、1999年まで、NTT前を起点として運行される路線で、1999年に一旦休止となった路線であった。
(参考にさせて頂いたのはこちらのページ)さよなら 神道山線&住吉宮線
トップの写真は、1996年ごろ、終点「神道山」にて。エアロミディMK 32-98番、社番909号車。
高島屋の袋を持ったおばあさんが降りてきているから、ボク以外にも終点まで乗る人がいたことがわかる。当時は恐らく5往復くらいあったと思うが、次にブログに書こうと思っている住吉宮線と記憶がごっちゃになっているかもしれない。
とにかく当時から、岡電バスの中でも本数が少なく、中型バス「三菱ふそうエアロミディ」専用で運行される狭隘路線を通る「ローカルバス」であった。
今でもローカルバスは好きだ。しかし、ローカルバスは鉄道ローカル線以上に乗り難い。何しろ本数は少ないし、1本逃せば、当然その他に交通機関は無い場合が多い。
岡山で、比較的安全に!?ローカルバスの雰囲気を味わえる路線が、この「神道山」線と「住吉宮」線であった。
田んぼの中の狭隘路線を走る、ローカル路線ぽい写真が撮りたくてこの写真を撮ったが、高校生の当時、この写真を撮った後、結局ここからひたすらこのバス路線を徒歩で戻ったのを覚えている。。。
2018年1月4日木曜日
福島・中央市場線 午後回り最終日
2018年、新年あけましておめでとうございます!
今年もブログ浜鷹臨港鉄道は、誰も待っていないけれど、ボクが残さなきゃ、誰も残さない情報をモットーにゆるゆる更新して参ります!!
さて、2018年一発目の画像は、1993年9月、岡山電気軌道、通称岡電バスの西日本車体工業58MCの画像です。
窓が逆T字になった後期車両、ナンバー34-60番なので、社番916号車。
岡山臨港鉄道の最大のライバル、と言いますか、岡山臨港鉄道がずっと負けっぱなしだった、岡電バス旧11系統「福島・岡山港」線。現在の「福島・中央市場」「福島・築港元町」線です。
このブログの一つのテーマが岡山臨港鉄道なのですが、まぁ、ボクの最寄り路線であり、通学等々毎日のように乗っていた路線であり、ボクを岡電バス好きに導いた路線ですのでご紹介します。
さて、中途半端に橋の欄干でバスが隠れたこの写真の何がスゴイかと言うと、現在の「福島・中央市場」線も、同じルートをたどるのですが、この写真と逆方向に回っているのです!!!
あと、この写真に1990年代まで残っていた、岡山臨港鉄道の8キロポストが写っていること。
これは、別日の「8キロポスト」写真です。
岡山臨港鉄道廃止後、通称11番川河口を渡る「臨港橋」の手前に、2000年頃まで残されていましたが、その話はまた別の機会にしましょう。
そうなのです。
1993年9月19日まで、岡電バス「福島・中央市場」線は、「平福小学校前」の停留所を出た後、「午前回り」「午後回り」で、午前は時計回り、午後は反時計回りの路線を回っていました。
旧11系統「福島・岡山港」線は、現在新岡山港から出ている、小豆島、土庄港へのフェリーが、旧岡山港から出ていた頃の連絡バスとしての使命を帯びた路線でした。
「午後回り」ナンバー35-95番なので、社番927号車、岡山港での写真。
この車両も窓が逆T字になった後期車両、トミーテックからモデル化されたお馴染みの車両ですねw
実は、この写真に写る道路の凹みも、岡山臨港鉄道の中央市場に至る線路跡なのです!!!
その昔には、旧系統番号10番「特急岡山港」行バスなども運行されていました。
そして、岡山臨港鉄道がそうであったように、岡山駅から岡山港にあるクラレ、同和鉱業等の工場への通勤路線でもありました。
「午前回り」「午後回り」を設定することで、午前は岡山駅→クラレ方面の通勤客を速達しつつ、ベッドタウン化しつつあった岡南元町・千鳥町の客を岡山駅に速達することができたのでした。(ボクもそんな恩恵に与った通学客でした)
1993年9月20日、
(1)小豆島行きフェリーが新岡山港発着になったこと
(2)マイカーの普及により、岡山港への通勤客輸送の使命が薄くなったこと
(3)そして、最も大きな要因として、岡南大橋の開通により、岡山循環線の一部県道45号線が開通したこと
により、「福島・中央市場」線は、短絡線である「福島・築港元町線」を開設し、「午前回り」の回り方のみとなり、現在に至ります。
更に申し上げると、現在でも写真付近の停留所名が、「北浦渡船場」なのですが、これは、児島湾の締切堤防完成以前に岡山港から児島湾を渡る船が出航していた港の証。
岡山臨港鉄道でさえ、1973年には、児島湾渡船場連絡駅「岡山港」駅を廃止したにもかかわらず、現在も「北浦渡船場」の停留所名が残っているのはすごいことと思います。
こちらは、ボクの家の最寄りだった「千鳥町」バス停。
今は廃止された「午後回り」バス停です。
系統番号10番「福島・築港元町」開設のお知らせと新時刻表。
ラッシュ時間帯の7時台に8本の設定が、通勤路線としての需要の多さを物語っています。
確か、築港元町線開設前まで、午前中に1本、乗ったことはありませんが、「岡山駅→クラレ直行便」が1本残っていたような。。。
こちらの写真は、最終日の9月19日、平福小学校前バス停から、旧南警察署前、現在の三浜町バス停に回ってくる、午後回り便。
現在の路線図を見て、「南警察署前」が「三浜町」に変わったことを知りました。
てか、ボクの乗っていた頃から南警察署はとっくに現在の位置に移転していたのですが。
西工58MCナンバー29-94、社番886号車。
同じく最終日、午後回り便の止まる、千鳥町バス停。西工58MCナンバー29-07だから、社番878号車です。
さらにこの頃のボクは、午後回り最終便の姿を捉えていますwww
福吉町バス停付近、西工58MC番号不明「岡南営業所」行、午後回り最終バスですwww
午後10時33分!
当時ボクは中学生。
中学生としては、とても遅い時間に、闇夜で寂しくバスを待っていたことを、今でも記憶しています。
ということで、今回は、岡電バスの話題でした!!
今年もよろしくお願いします!
今年もブログ浜鷹臨港鉄道は、誰も待っていないけれど、ボクが残さなきゃ、誰も残さない情報をモットーにゆるゆる更新して参ります!!
さて、2018年一発目の画像は、1993年9月、岡山電気軌道、通称岡電バスの西日本車体工業58MCの画像です。
窓が逆T字になった後期車両、ナンバー34-60番なので、社番916号車。
岡山臨港鉄道の最大のライバル、と言いますか、岡山臨港鉄道がずっと負けっぱなしだった、岡電バス旧11系統「福島・岡山港」線。現在の「福島・中央市場」「福島・築港元町」線です。
このブログの一つのテーマが岡山臨港鉄道なのですが、まぁ、ボクの最寄り路線であり、通学等々毎日のように乗っていた路線であり、ボクを岡電バス好きに導いた路線ですのでご紹介します。
さて、中途半端に橋の欄干でバスが隠れたこの写真の何がスゴイかと言うと、現在の「福島・中央市場」線も、同じルートをたどるのですが、この写真と逆方向に回っているのです!!!
あと、この写真に1990年代まで残っていた、岡山臨港鉄道の8キロポストが写っていること。
これは、別日の「8キロポスト」写真です。
岡山臨港鉄道廃止後、通称11番川河口を渡る「臨港橋」の手前に、2000年頃まで残されていましたが、その話はまた別の機会にしましょう。
そうなのです。
1993年9月19日まで、岡電バス「福島・中央市場」線は、「平福小学校前」の停留所を出た後、「午前回り」「午後回り」で、午前は時計回り、午後は反時計回りの路線を回っていました。
旧11系統「福島・岡山港」線は、現在新岡山港から出ている、小豆島、土庄港へのフェリーが、旧岡山港から出ていた頃の連絡バスとしての使命を帯びた路線でした。
「午後回り」ナンバー35-95番なので、社番927号車、岡山港での写真。
この車両も窓が逆T字になった後期車両、トミーテックからモデル化されたお馴染みの車両ですねw
実は、この写真に写る道路の凹みも、岡山臨港鉄道の中央市場に至る線路跡なのです!!!
その昔には、旧系統番号10番「特急岡山港」行バスなども運行されていました。
そして、岡山臨港鉄道がそうであったように、岡山駅から岡山港にあるクラレ、同和鉱業等の工場への通勤路線でもありました。
「午前回り」「午後回り」を設定することで、午前は岡山駅→クラレ方面の通勤客を速達しつつ、ベッドタウン化しつつあった岡南元町・千鳥町の客を岡山駅に速達することができたのでした。(ボクもそんな恩恵に与った通学客でした)
1993年9月20日、
(1)小豆島行きフェリーが新岡山港発着になったこと
(2)マイカーの普及により、岡山港への通勤客輸送の使命が薄くなったこと
(3)そして、最も大きな要因として、岡南大橋の開通により、岡山循環線の一部県道45号線が開通したこと
により、「福島・中央市場」線は、短絡線である「福島・築港元町線」を開設し、「午前回り」の回り方のみとなり、現在に至ります。
更に申し上げると、現在でも写真付近の停留所名が、「北浦渡船場」なのですが、これは、児島湾の締切堤防完成以前に岡山港から児島湾を渡る船が出航していた港の証。
岡山臨港鉄道でさえ、1973年には、児島湾渡船場連絡駅「岡山港」駅を廃止したにもかかわらず、現在も「北浦渡船場」の停留所名が残っているのはすごいことと思います。
こちらは、ボクの家の最寄りだった「千鳥町」バス停。
今は廃止された「午後回り」バス停です。
系統番号10番「福島・築港元町」開設のお知らせと新時刻表。
ラッシュ時間帯の7時台に8本の設定が、通勤路線としての需要の多さを物語っています。
確か、築港元町線開設前まで、午前中に1本、乗ったことはありませんが、「岡山駅→クラレ直行便」が1本残っていたような。。。
こちらの写真は、最終日の9月19日、平福小学校前バス停から、旧南警察署前、現在の三浜町バス停に回ってくる、午後回り便。
現在の路線図を見て、「南警察署前」が「三浜町」に変わったことを知りました。
てか、ボクの乗っていた頃から南警察署はとっくに現在の位置に移転していたのですが。
西工58MCナンバー29-94、社番886号車。
同じく最終日、午後回り便の止まる、千鳥町バス停。西工58MCナンバー29-07だから、社番878号車です。
さらにこの頃のボクは、午後回り最終便の姿を捉えていますwww
福吉町バス停付近、西工58MC番号不明「岡南営業所」行、午後回り最終バスですwww
午後10時33分!
当時ボクは中学生。
中学生としては、とても遅い時間に、闇夜で寂しくバスを待っていたことを、今でも記憶しています。
ということで、今回は、岡電バスの話題でした!!
今年もよろしくお願いします!
2017年12月31日日曜日
岡山臨港鉄道不二倉庫運輸専用線跡
もう一年前になるのですが、岡山臨港鉄道、岡南福田駅西側の不二倉庫運輸専用線跡の写真を。
訪問したのが夕方だったので、昼に撮りなおしたものを上げようかと思いましたが、結局一年経ってしまいました。。。
岡山臨港鉄道跡は、道路になりました。
ネコパブリッシング刊RM LIBRARY197「岡山臨港鉄道」のP.30に現役当時の写真が載っていました。
本線から一段下がるように、機回し線と一本の引込線が伸びています。
この扉は、倉庫の建設当時、貨車からの積荷を降ろすのに使っていたハズ。
C35(C36?)と18D型の廃コンテナが、鉄道輸送の名残のようですが、岡山臨港鉄道現役時代には、もちろんコンテナを扱っていませんでした。
近くには、小さな用水路があり、橋台跡らしきものも残っています。
この辺りは、道が広くなり、ちょっとした公園のように整備されています。
岡南福田駅、岡山港方面を見ると、旧小野田レミコンのセメントサイロが立っています。
ここにも岡山臨港鉄道からの引込線が伸びていました。
不二倉庫運輸専用線から、少し岡南福田駅方向に進むと、少し幅の広い用水路を渡ります。やっと線路の写真w
2013年12月21日にも掲載した写真です。1990年頃。
横から。恐らく記憶する限り、岡山臨港鉄道で一番立派な鉄橋なのではないでしょうか?
同じく1990年頃、小野田レミコンのサイロに近付きます。
こちらは岡南福田駅の踏切から、大元方向、すなわち、不二倉庫運輸専用線方向を写した写真。1990年頃。
小野田レミコンの引き込み線は、ここから左に1本分岐していたハズです。
今回も、鉄道ブログなのに線路の写真が少ない記事で、2017年を締めたいと思います。。。
来年はもう少し更新頻度を上げようかなw
みなさまよいお年を!!
訪問したのが夕方だったので、昼に撮りなおしたものを上げようかと思いましたが、結局一年経ってしまいました。。。
岡山臨港鉄道跡は、道路になりました。
ネコパブリッシング刊RM LIBRARY197「岡山臨港鉄道」のP.30に現役当時の写真が載っていました。
本線から一段下がるように、機回し線と一本の引込線が伸びています。
この扉は、倉庫の建設当時、貨車からの積荷を降ろすのに使っていたハズ。
C35(C36?)と18D型の廃コンテナが、鉄道輸送の名残のようですが、岡山臨港鉄道現役時代には、もちろんコンテナを扱っていませんでした。
近くには、小さな用水路があり、橋台跡らしきものも残っています。
この辺りは、道が広くなり、ちょっとした公園のように整備されています。
岡南福田駅、岡山港方面を見ると、旧小野田レミコンのセメントサイロが立っています。
ここにも岡山臨港鉄道からの引込線が伸びていました。
不二倉庫運輸専用線から、少し岡南福田駅方向に進むと、少し幅の広い用水路を渡ります。やっと線路の写真w
2013年12月21日にも掲載した写真です。1990年頃。
横から。恐らく記憶する限り、岡山臨港鉄道で一番立派な鉄橋なのではないでしょうか?
同じく1990年頃、小野田レミコンのサイロに近付きます。
こちらは岡南福田駅の踏切から、大元方向、すなわち、不二倉庫運輸専用線方向を写した写真。1990年頃。
小野田レミコンの引き込み線は、ここから左に1本分岐していたハズです。
今回も、鉄道ブログなのに線路の写真が少ない記事で、2017年を締めたいと思います。。。
来年はもう少し更新頻度を上げようかなw
みなさまよいお年を!!
2017年12月26日火曜日
岡電バス 西日本車体工業58MC
2017年3月6日月曜日
Frankfurt am Main
突然ですが、2000年、ドイツを旅行した時の写真。
最近、当時のモノクロフィルムをスキャンし直していて、改めてこういう記録も残しておかなければ、という使命感!?と、ヤード系貨物全廃、車扱い貨物も激減した日本において、もう少し鉄道貨物の違った未来もあったのでは?という思いで投稿です。
ドイツの玄関口である国際空港もあるフランクフルトは、正式名称「Frankfurt am Main」の名の通り、マイン川の水運により発展した工業都市でもあります。
当時、旅の合間に、地図で貨物引込線らしき線路を見つけ、マイン川沿いのスクラップ工場の裏を抜けると、運河に沿った引込線で、無蓋車1両単位でのスクラップ輸送をしているのを見つけました。
線路が残っています!!!
スクラップ工場が残っているのかどうかはよくわかりません。
しかし、ヤードからマイン川沿いの運河?港?に線路が引き込まれているのが確認できました!!そうです!!ここです!!感動!!!
(Google Mapでは、もっとズームできます)
フランクフルトには、この他にも、中心部のマイン川沿いの公園に、怪しい引込線があったり、まだまだ趣味的に面白い場所もありました。
うーん、日本にもこういう光景が残っていれば・・・と思わずにはいられません。
鉄道趣味の盛んなドイツなので、恐らくドイツの趣味人の間では有名なのかもしれませんが、なかなか日本では紹介されることは無いので、今回投稿してみました。
貨物趣味のみなさま、ヨーロッパ旅行の合間にこういった場所を探検して、レポートしてみてはいかがでしょう!?
ただし、ヨーロッパは比較的安全とはいえ、たいていの場合、貨物駅は市街地の外れに位置していますので、くれぐれも安全に気を付けて、自己責任でお願いします。。。
最近、当時のモノクロフィルムをスキャンし直していて、改めてこういう記録も残しておかなければ、という使命感!?と、ヤード系貨物全廃、車扱い貨物も激減した日本において、もう少し鉄道貨物の違った未来もあったのでは?という思いで投稿です。
ドイツの玄関口である国際空港もあるフランクフルトは、正式名称「Frankfurt am Main」の名の通り、マイン川の水運により発展した工業都市でもあります。
当時、旅の合間に、地図で貨物引込線らしき線路を見つけ、マイン川沿いのスクラップ工場の裏を抜けると、運河に沿った引込線で、無蓋車1両単位でのスクラップ輸送をしているのを見つけました。
以前のネコパブリッシング社刊「トワイライトゾーンマニュアル」で、塩釜埠頭駅で無蓋車トラを使ったスクラップ輸送が紹介されていたことがありましたが、ドイツで同じような輸送体系が残っていることに感動を覚えました。
どうですか?貨物マニアにはたまらない雰囲気でしょう!!!
(勝手に興奮。。。)
さらに裏手には、倉庫に引き込まれた引込線も。。。
「DB」=Deutsche Bahnでは、日本では壊滅した操車場(ヤード)系貨物が今でも残っています。とはいえ、旅行した2000年当時でも、一部合理化は進んでおり、地図では残っていたヤードが、実際に行ってみると、線路が剝がされていたことも。
今回、久々にフィルムスキャンしたのがきっかけで、「もう2000年当時のスクラップ輸送は残っていないだろうな」と思いつつ、Google Mapで探してみると・・・・
(C)Google Mapより(赤字は筆者追記)
ありました!!!線路が残っています!!!
スクラップ工場が残っているのかどうかはよくわかりません。
しかし、ヤードからマイン川沿いの運河?港?に線路が引き込まれているのが確認できました!!そうです!!ここです!!感動!!!
(Google Mapでは、もっとズームできます)
フランクフルトには、この他にも、中心部のマイン川沿いの公園に、怪しい引込線があったり、まだまだ趣味的に面白い場所もありました。
うーん、日本にもこういう光景が残っていれば・・・と思わずにはいられません。
鉄道趣味の盛んなドイツなので、恐らくドイツの趣味人の間では有名なのかもしれませんが、なかなか日本では紹介されることは無いので、今回投稿してみました。
貨物趣味のみなさま、ヨーロッパ旅行の合間にこういった場所を探検して、レポートしてみてはいかがでしょう!?
ただし、ヨーロッパは比較的安全とはいえ、たいていの場合、貨物駅は市街地の外れに位置していますので、くれぐれも安全に気を付けて、自己責任でお願いします。。。
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