2021年1月26日火曜日

「ムーンライトながら」廃止に寄せて

1997年12月、快速「ムーンライトながら」の多客時期に運転された、救済臨時列車「9375M」です。始発の品川駅にて。

2021年1月、とうとう、「大垣夜行」からの長い歴史を持つ、快速「ムーンライトながら」の廃止が発表されました。
コロナ禍もあり、昨年2020年3月の運転が実質最後という「事後通告」で、あっけない最後になってしまいました。

ボクは、1997年に岡山から横浜に出てきたので、通常の「大垣夜行」は1996年には、快速「ムーンライトながら」となり、JR東海の373系になっておりました。
しかし、最初にボクが利用したのは、小田原まで全席指定の「ムーンライトながら」ではなく、青春18きっぷのみで、かつての「大垣夜行」の雰囲気を色濃く残す、田町電車区165系(169系だったかな?)の品川始発9375Mでした。



小田原まで全席指定になった「ムーンライトながら」を諦めて、臨時9375Mの自由席を確保するため、品川駅ではたくさんの若い人たちが、長時間ホームで列を作っていました。
クリスマスプレゼントを抱えた会社員・・・終電としての役割もあり、スーツ姿の人も多かったです。
ボックスシートに寝る。
ボクは、高校時代に、新大阪~新宮間の普通夜行列車も体験していましたが、昔ながらの「夜汽車」スタイル!?で寝る、貴重な体験ができましたw
まぁ、ボクが乗った時は、途中駅からは、少し空席もできたので、このスタイルで寝れましたが、お盆や年末年始のさらにピークの時期になると、通路やデッキまで人が溢れていましたので、横になることさえ難しかったと思います。
まぁ、ボクは、寝られない?もしくは床に寝ること必至の、そこまでのピーク時に乗ったことはありませんが。
ただ、快速「ムーンライトながら」が小田原から一部自由席になるので、東海道線で小田原まで行って、立ち席覚悟で乗車した記憶はあります。その写真は残っていませんが。


臨時9375Mは、途中で本家「ムーンライトながら」を追い抜くダイヤでした。
1997年に乗車した時は、この後乗り継いで、故郷の岡山を通り越して、下関まで旅行をしました。
乗り継ぐ人にとっては、関ヶ原を超える、大垣~米原間が、本当に長く感じて辛かった。
通称、「大垣ダッシュ」と言われた、短い乗り継ぎ時間、そして、超ローカル線の短い編成、単調な車窓と、鈍足な各駅停車・・・非常に眠いにもかかわらず、座れないと本当に地獄!!
JR東海による、新幹線を利用しない乗客への「嫌がらせ」かと恨んだものですwww

その後、何度も「ムーンライトながら」は利用しましたが、映像制作に夢中になる時期だったりして、ほとんど写真が残っていません。。。

社会人になってからは、さすがに時間的、体力的に余裕がなくなって、「ムーンライトながら」を利用する機会は減ったかなぁ。。。
戸塚に勤務だったころ、「ムーンライトながら」運行のために373系を東京駅に送り込むための、373系による東京行き普通列車には、よく乗りましたが。

そして、ボクにとって、「ムーンライトながら」最後の利用は、2008年4月でした。
最後にその時1枚だけ撮っていた写真です。
「ムーンライトながら」本当にありがとう!!



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