2021年3月10日水曜日

赤穂線西浜から山陽本線宝殿までのセメント貨物 ~その1~

 
兵庫県の相生駅から、岡山県の東岡山駅まで、山陽本線の南側の小都市を結びながら走る、赤穂線。「赤穂浪士」で有名な「播州赤穂」や、片上鉄道の終点「片上」(片上鉄道が国鉄と接続していたのは和気駅でしたが)、日本刀の名刀「備前長船刀」の「長船」や、奇祭西大寺はだか祭りで有名な「西大寺」など、各駅毎になかなか特徴があり、ボクにとっては、なかなか魅力的な地元の電化単線ローカル線です。

この赤穂線、1995年まで、定期貨物列車の設定がありました。
最後は、住友セメント工場があった播州赤穂の隣の貨物駅「西浜」から、山陽本線「宝殿」までを結んでいました。

家で鉄道模型を走らせ始めて、岡山の実家に眠っていた鉄道模型もいくつか親に頼んで送ってもらいましたが、その中でも走らせたかったのは、この写真の、EF65一般型の牽く、住友セメントタキ1900貨物列車。

赤穂線のセメント貨物列車の雰囲気です。
実際は、タキ12両編成だったそうなので、半分の長さですが、雰囲気で!

ボクが持っている模型のタキ1900は、今は無き、河合商会製。
今では、KATOもTOMIXもタキ1900を精密な最新技術で模型化してくれているので、いつか住友セメント所有車も!と待っているのですが、まだ発売されません、、、
KATOやTOMIX製品もそこそこ高価なので、上手くできる自信も無いのに、会社名を書き替える改造も気が引けます。以前は小メーカーから、「住友セメント」の社名インレタも発売されていた覚えがありますが・・・。

親戚の家が、一時期、山陽本線「土山」(かつて別府鉄道の起点だった駅です)にあり、小学生から中学生の頃、山陽本線で何度か訪問したました。
その時に、当時から車窓にへばりついて、貨物列車などを変態的に観察していたボクは、「宝殿」駅に住友セメントの専用線があるのを見付けました!!
そして、インターネットも無い時代に、よく調べたと思いますが、その宝殿駅のセメント貨物の出発地が、赤穂線の「西浜」であることを知りました。
廃止前ギリギリ、1995年頃、赤穂線西浜駅(もう西浜信号所となっていたか?)の写真です。
背景の右側が住友セメント赤穂工場。
今思うと、何故ワム80000貨車がいるのでしょうか?
住友セメントタキ1900。

実は、このタキ1900が、貨物列車として、赤穂線内を実際に走行しているところは、ボクは見たことがありません!
WEBで探して、唯一、走行写真を掲載されていた、ル・シエルさんの「~いつか見た空~」BUOGのリンクを掲載させていただきます。


西浜駅の貨車についても書かれています。


実は、今でも、赤穂線の「天和駅」にある三菱電機専用線までのシキによる特大貨物については、一応不定期貨物の設定があります。
1995年頃、天和駅三菱電機専用線のバッテリーロコ。

最近では、2019年にシキ1000による特大貨物が走ったらしいです。

ところで、赤穂線のセメント貨物は、しんがりに、ちゃんと!?車掌車ヨ8000を連結していたらしいです。日本の鉄道貨物列車は、1985年以降、原則として車掌車の連結と列車掛(車掌)の常務を省略していきました。特殊な事情、例えば、紀勢本線鵜殿までの貨物列車などは、山中で列車無線が通じ難いエリアがあるということで、車掌車の連結をしていた例がありましたが、赤穂線は何故、最後まで車掌車が連結されていたのでしょうか?




2021年2月23日火曜日

今回のNゲージレイアウトは完成するのか!?

 

写真撮影がひと段落して、部屋を思いっきり片付けて、何とか鉄道模型を走らせるスペースを確保しました。
サイズは、1500mm×606mm。
写真で使用した、F12サイズ(606mm×500mm)の木製バネルを再利用して、横に3枚つなげました。ホームセンターでアルミのLアングルを購入し、切断、穴をあけて木ネジで固定した突貫工事です。

まぁ、妻子ある身で、ギリギリ首都圏内居住のサラリーマンが、Nゲージの鉄道模型を走らせるスペースを確保できるだけでありがたい話ですよ。。。涙

固定式レイアウトに関しては、「走らせること主体」「リアルな情景主体」等々、いろいろな考え方もあると思いますが、

①自分の好きな、20m級国鉄型車両、4両編成程度を走らせる。
②収納、格納も考慮する。
③眺めて、写真を撮影して、できるだけ現実感のあるレイアウト。
④できる限り、無理な工作はしないで、既製品を利用し、「完成」させることを目標とする。

そんなことを考えながらプランニングしました。

線路はTOMIX製。
まぁ、小学4年生で最初に購入したのがTOMIXの線路なので、かれこれ30年以上の付き合い、製品の線路の単位も全て頭の中に入っているし、どうしてもTOMIXの規格でレイアウトを考えてしまう。まぁ、KATO製と優劣をつけるのは野暮ですが、まぁ、TOMIXのストレートレールS140が、20m級車両1両分なので、プランはしやすいのではないかなぁ、と。

安定した走行のために推奨されるのは、カーブ半径280mm以上であることは承知していますが、幅606mmの制約上、TOMIXの半径243mmカーブレールを使用しています。
昔のアーノルトカプラー(連結器)だけならば、何とかクリアする半径です。
ただ、最近のTOMIXTMカプラー等も試走してみましたが、今のところ走行には問題なさそうです。まぁ、新幹線車両なんて走らせる気もありませんし。

走行機器は、KATOの「パワーパックスタンダードS」を長年使用していましたが、調子が悪くなってしまい、今回、TOMIX「N-1001-CL」を新調してしまいましたw

低速走行も安定していますし、常点灯機能による、ヘッドライト、テールライトがカッコイイ!!!
そして、久々に電動ポイントを切り替えると、超快適!!

駅のホームや待避線は、長手方向1500mmのおかげで4両分は確保できました。
カーブポイントを採用することは実感味の点で迷いましたが、駅構内の複線の直線区間を長くとることで、見方によっては、複線の線路にも見えます。


この写真の後、線路配置を変えましたが、駅の雰囲気は、ローカル線を意識していますが、走らせる車両は、電化、非電化を問わず、好きな「国鉄型」車両を走らせたいと思っていますので。

②の「収納」面と、走行安定性も含め、地形のUP、DOWNは、避けました。
あくまで、「平面」!!
そして、「走行させること」に重点を置くと、カーブや、立体交差を多用させて、さまざまなレイアウトプランも可能なのですが、

「ローカル線は、線路が立体交差しないだろ!!」
「線路は直線が主体!!」

という考えで、自分を(無理やり!?)納得させて、単純なエンドレス(円形)にしました。
まぁ、現実から考えると、鉄道模型の曲線半径なんて実際ありえない急曲線ですし、③の通り、視線を車両の目の高さにして眺めたり、写真を撮影したりするときに、列車の編成が、直線線路でビシッと直線で走っている様は絵になります。

さて、ボクは岡山時代に1800mm×900mmの貨物駅を基本としたレイアウトを製作したり、


数々のセクションレイアウト(まぁ、車両を走らせないで飾るためのジオラマですねw)を制作してきたのですが、



さて、いよいよ今回、「Nゲージを思いっきり走らせる」レイアウトを完成させることができるのか!?

まぁ、気長に楽しみたいと思いますw


2021年2月2日火曜日

旧型客車に萌えています

 

先日、KATOのオハフ61とオハニ61を購入して、倉吉線の混合列車を再現してから、


ボクの旧型客車熱がおさまらず!?スハフ42とオハフ33も購入してしまいましたwww
あえて、スハフ42はブルーの体質改善更新車で、オハフ33は戦前型の丸屋根で、国鉄末期の鈍行普通列車の凸凹感を再現してみました。
DE10を先頭に編成を組んでみると、あー!!!美しいわ!!!
まぁ、蒸気機関車を知る、ボクより上の世代には、邪道なのかもしれませんが、ボクらギリギリ旧型客車を知る世代にとっては、これぞ、「汽車」!!
うーん、昭和末期まで、こんな編成が運用されていたなんて!!!

しかし、改めてボクは、実際には「旧型客車」には乗ったことが無いのです。。。
いや、14系、24系のブルートレインには何度も乗りました。
普通列車用の「座席車」としては、12系客車は、中学校の修学旅行をはじめとして、何度か乗りました。
2006年、秩父鉄道の「パレオエクスプレス」も12系客車だった。。。
実は、50系客車=レッドトレインに乗ったのも、2013年の真岡鉄道だけかもしれません。
何となく、旧型客車に馴染みがあるようで、実際には乗っていないのでした。。。涙
コロナ禍が明けたら!旧型客車に乗りに行こう!!
そんなことを思いながら、昼間から部屋を暗くして「客車のテールライトがかっこええ!!」と萌えていますwww









2021年1月26日火曜日

「ムーンライトながら」廃止に寄せて

1997年12月、快速「ムーンライトながら」の多客時期に運転された、救済臨時列車「9375M」です。始発の品川駅にて。

2021年1月、とうとう、「大垣夜行」からの長い歴史を持つ、快速「ムーンライトながら」の廃止が発表されました。
コロナ禍もあり、昨年2020年3月の運転が実質最後という「事後通告」で、あっけない最後になってしまいました。

ボクは、1997年に岡山から横浜に出てきたので、通常の「大垣夜行」は1996年には、快速「ムーンライトながら」となり、JR東海の373系になっておりました。
しかし、最初にボクが利用したのは、小田原まで全席指定の「ムーンライトながら」ではなく、青春18きっぷのみで、かつての「大垣夜行」の雰囲気を色濃く残す、田町電車区165系(169系だったかな?)の品川始発9375Mでした。



小田原まで全席指定になった「ムーンライトながら」を諦めて、臨時9375Mの自由席を確保するため、品川駅ではたくさんの若い人たちが、長時間ホームで列を作っていました。
クリスマスプレゼントを抱えた会社員・・・終電としての役割もあり、スーツ姿の人も多かったです。
ボックスシートに寝る。
ボクは、高校時代に、新大阪~新宮間の普通夜行列車も体験していましたが、昔ながらの「夜汽車」スタイル!?で寝る、貴重な体験ができましたw
まぁ、ボクが乗った時は、途中駅からは、少し空席もできたので、このスタイルで寝れましたが、お盆や年末年始のさらにピークの時期になると、通路やデッキまで人が溢れていましたので、横になることさえ難しかったと思います。
まぁ、ボクは、寝られない?もしくは床に寝ること必至の、そこまでのピーク時に乗ったことはありませんが。
ただ、快速「ムーンライトながら」が小田原から一部自由席になるので、東海道線で小田原まで行って、立ち席覚悟で乗車した記憶はあります。その写真は残っていませんが。


臨時9375Mは、途中で本家「ムーンライトながら」を追い抜くダイヤでした。
1997年に乗車した時は、この後乗り継いで、故郷の岡山を通り越して、下関まで旅行をしました。
乗り継ぐ人にとっては、関ヶ原を超える、大垣~米原間が、本当に長く感じて辛かった。
通称、「大垣ダッシュ」と言われた、短い乗り継ぎ時間、そして、超ローカル線の短い編成、単調な車窓と、鈍足な各駅停車・・・非常に眠いにもかかわらず、座れないと本当に地獄!!
JR東海による、新幹線を利用しない乗客への「嫌がらせ」かと恨んだものですwww

その後、何度も「ムーンライトながら」は利用しましたが、映像制作に夢中になる時期だったりして、ほとんど写真が残っていません。。。

社会人になってからは、さすがに時間的、体力的に余裕がなくなって、「ムーンライトながら」を利用する機会は減ったかなぁ。。。
戸塚に勤務だったころ、「ムーンライトながら」運行のために373系を東京駅に送り込むための、373系による東京行き普通列車には、よく乗りましたが。

そして、ボクにとって、「ムーンライトながら」最後の利用は、2008年4月でした。
最後にその時1枚だけ撮っていた写真です。
「ムーンライトながら」本当にありがとう!!



2021年1月14日木曜日

倉吉線の混合列車を再現する・・・消えゆくローカル線 西日本、東日本(1981年桐原書店刊)

こちらのBLOG上では、2021年、あけましておめでとうございます!ですね。
2020年は、三菱エアロスターを所有する函嶺交通さんとの衝撃的な出会いなどありましたが、コロナ禍もあり、家族で実家である岡山に帰ることもできず、遠征もままならず、あまり鉄道活動、バス活動ができない一年でした。
モタモタしているうちに、鉄道界では、「国鉄型」車両が続々と引退前の最終段階に入っております。
今、会いに行きたい車両がたくさんあります。EF65、EF66、EF64、EF81型電気機関車を始め、DD51、DE10ディーゼル機関車も運用が瞬く間に縮小されています。
JR東日本地区のキハ40、47、48がとうとう全車引退しようとしています。
115系電車も、185系電車も・・・

そんな中で、久しぶりに鉄道模型を購入しました。
オハフ61とオハニ61。
早速、娘に手伝わせて、今は無き鳥取県倉吉線の混合列車をNゲージで再現してみました!
倉吉線は、山陰本線倉吉駅を起点に、中国山地の山守駅までの20kmを結んでいた、いわゆる「盲腸線」です。
当初の計画では、ボクも馴染みが深い、岡山県の姫新線「中国勝山駅」までを結ぶ計画もあったそうですが、モータリゼーションの進展とともに、頓挫、沿線住民も少なく、足が遅く本数の少ない鈍行列車のみの典型的赤字ローカル線で、やがて昭和60年には全線廃止となりました。

既に全国的にも珍しくなっていた、旅客と貨物を両方運ぶ、混合列車が走っていました。
さらに、昭和61年には全廃される、荷物輸送の合造車「オハニ」も連結しています。
DE10は2エンド側を前にして、ワム80000が1両、オハフ61は、車掌室が編成の内側に向いているのですね!
厳密に申し上げると、牽引機がC11からDE10に変わった倉吉線末期、荷物合造車は、オハニ36だったようです。
客車倶楽部過去ログ集~倉吉線のオハニ36
しかし、60系客車って、戦後旧式の木造客車を鋼体化した、椅子も狭く、椅子の背板はクッションが無く木張り!という、なんともヒドイ旧式な車両です。
国鉄60系客車 - Wikipedia

参考にした本は「消えゆくローカル線 西日本」(1981年桐原書店刊)です。
雪の伯耆大山を背に走る素晴らしい写真が掲載されております。

「消えゆくローカル線 東日本、西日本」は、ボクが小学生のころ、図書館で出会いました。
「東日本」は、宮脇俊三さんと諸河久さん、「西日本」は、種村直樹さんと荒川好夫さん、ボクにとって、小学校のころから憧れだった超一流レールライターと鉄道カメラマンがタッグを組み、国鉄再建法により、第一次地方特定交通線と認定された、全国のローカル線を克明に記録した名著!!
ボクも古書で何とか手入れて、今でも何度も読み返しています。
写真のすばらしさもさることながら、ゲストで寄稿している有名作家の「ローカル線賛歌」のエッセイの数々、そして、加藤登紀子さんも登場するフォトエッセイもすばらしい!!
現在、第三セクターとして生き残った路線もありますが、国鉄末期に消えてしまった鉄道の原風景を思い出させてくれる本です!

2020年8月23日日曜日

バス映画!?「狂った野獣」1976年東映、中島貞夫監督

 

「狂った野獣」
1976年東映、中島貞夫監督による、バスジャックとカーアクションをメインに据えた映画。
うーん、バスのことが大好きなみなさまの中には、バスが破壊される映画には、嫌悪感を示す方もいるのかもしれませんが、ボクはバスマニアとして、大暴走しても、破壊されても、バスが、ちょっとでも出演する映画は、興味を持っています。
そして、この「狂った野獣」は、1994年のアメリカ映画「スピード」並みに、バスを主役にした、隠れた名作だと思います。
バスマニア的なお話をさせていただくと、バスは、日産ディーゼル4R系。

正にこの時代のバスを代表するような形式で、全国的に見られた標準型。
窓がいわゆる「バス窓」車ではあるが、ヘッドライトが4灯であるため、それほど古いバスという違和感も感じられない。
年式を、調べてみました。
この形式は、ヘッドライトが2灯から4灯になったのが、1968年、そして1970年には、客窓が、いわゆる「バス窓」からユニットサッシに変更されたようである。
したがって、1968年式か、69年式あたりと思われる。
1976年の映画なので、バスは、7年落ちか、8年落ちなので、都市圏の新車を導入するバス会社からすれば、若干旧式になりますが、全国的にみれば、まだまだ同じ型のバスもたくさん活躍していたはず。
もったいないと言えば、もったいない破壊ですが、現役のバスに近い型のリアリティある破壊ともいえると思います。
ドアが、今は少なくなった前後扉なのも、当時の京都市営バスや京都バスと通じていて、リアルさが増しているかもしれません。
犯人役の片桐竜次さんが車内放送設備をぶっ壊しますが、バスの車内放送用カセットは、エンドレスタイプの専用カセット(8トラックカートリッジ)を、終点で運転手さんが入れ替えていたなぁ、と懐かしく思いました!

1976年、東映が、「日本でもカーアクション映画ができるか!?」という命題に、全力で答えた!?2本の映画の内の1本。
深作欣二監督の「暴走パニック大激突」については、小学校のころ最初に観ていたのですが、この「狂った野獣」については、今まで全くノーマークでした!!
こんなに「バス」メインの映画なのに!!
いやぁ、バスマニアとして不覚!!!!

アメリカでは、1969年「イージー・ライダー」、1971年「バニシングポイント」、1974年には、「バニシング in 60"」という、バイク、車を主役とした映画がヒット。
1975年には、東映でも「トラック野郎 御意見無用」が空前の大ヒットとなる。
それに気を良くした、東映の岡田社長が、「ハリウッドに負けないカーアクション映画を作れ!!」と深作欣二監督に無茶振りしたのが、「暴走パニック大激突」。

いやぁ、「暴走パニック大激突」については、改めて感想を書きたいと思っておりますので、ここでは、簡単に感想を述べさせていただくに留めますが・・・
ボクが、きっかけは忘れましたが、最初に「暴走パニック大激突」を目にした、小学校のころ、その頃はまだ、深作欣二監督が、あの「仁義なき戦い」等々の名作を作った名監督とは知らなかったです。
その後も、中学校、高校・・・何となくストレスがたまると、ビデオに録画した「暴走パニック大激突」を何度も観てきました。
後半のカーアクションシーン!
宣伝文句は「激突車30台、炎上車20台、登場車200台」・・・いやいや、そんなに登場しないだろ!!笑
しかし、ヒステリックにとりあえず出演した車は、走行不能になるまで、丁寧に!?ぶっ壊す映画で、ストレス解消にはなります。
うーん、しかし、映画のストーリー、人間物語としては・・・ホントに深作監督自身がパニックになっているんじゃないかと思うような・・・前半、様々な人間ドラマが、これでもか!と、てんこ盛りに盛り込まれながら、全て唐突に、カーアクション、カースタントで大混乱のまま終わっていく映画!?
もう、何度も見ているから、ボクとしては嫌いじゃないのですが(むしろ好きなのですが)誉め言葉も含めて、「ヒドイ映画です!!」

それと比較して、この「狂った野獣」は、Wikipediaによると、かなり予算を削られたようで、映画用に購入された車両は、中古のバス1台とパトカー8台だけだったそうです。
しかし、予算を削られて、「バス」に的を絞らざるを得なくなったことで、「暴走パニック大激突」のように大風呂敷を広げ過ぎることもなく、コンパクトにまとまった良い作品になったのでは?と思いました。

乗り合わせた乗客の偶然性による面白さや、癖があって個性が強いながらも、「乗客それぞれが、実際にいそうな、人間社会の縮図、デフォルメ」みたいなところが、「バスの中」という閉鎖空間のために、散漫にならないで、面白さが増したと思います。

「The 関西のおばちゃん」!ともいうべき、強気で自分勝手なおばちゃん、存在感たっぷりな、橘麻紀さん演じる女(ニワトリを抱きながら放心する姿、最高!!)、不倫男女、訳アリのチンドン屋一行に、金に目の無いおっさん、老人、小学生(その親は、エゴの塊で、警察を振り回す)。
みんな最後には、渡瀬恒彦の盗んだ宝石に群がる、まさに社会の縮図!!

そして何より、銀行強盗にも失敗して、バスジャックしたものの、癖の強い乗客の勢いに抵抗され、自分のやったことが怖くなって、どんどん気弱にトーンダウンしていく川谷拓三さんが、本当に見事なハマリ役!!
感情移入し過ぎちゃって、拓さんが最後に狙撃されてしまうのが、かわいそうになってくるもの。。。

渡瀬恒彦さんは、この映画のために大型免許を取得して、ノースタントでバイクからバスに飛び乗るわ、最後にはバスを横転させちゃうわ、ハッスルしまくり!!
東映ピラニア軍団の拓さんと片桐竜次さんは、バス横転シーンで、顔も写らないのに、渡瀬さんの運転するバスに乗り込んだという笑

ガラスが割れた窓越しに、渡瀬さん本人の運転がバッチリ映っています!!

あ、「暴走パニック大激突」でも、渡瀬さんがノースタントで運転しているのを見せたいから、渡瀬さんの車の運転席側のドアが外れたのね!!と、今更ながら納得!笑

ストーリーもテンポよく、無駄のない、バスをふんだんに映したバスジャック映画!
バス好きのみなさまにも是非おススメの映画ですwww

2020年7月16日木曜日

函嶺自動車交通さんとの出会い~あなたはまだバスを持っていないのですか?~

 三菱エアロスターのつぶらな瞳がかわいい!!
2020年7月12日、中央線某駅前ロータリーに、1台の白いバスが・・・
有志数名で、三菱エアロスターワンステップ、MP35JKを自己所有された「函嶺自動車交通」さんの「自家用バス」です。

乗り込むと、整理券箱、運賃箱はまだ取り付けられていないものの、当然ながら、社内は路線バス!
ワンステップ車なので、左最前列、通称「バスオタ席」に座らせてもらうと、
「どこに行きましょうか?」
路線バスに乗り込んで、「どこに行きますか?」と聞かれる違和感www

とりあえず、今日は近隣をドライブしてもらう。
元は、箱根登山バスの車両を、仲間でお金を出し合って、中古として購入した車両。
ハイバックの2シートが並ぶ社内は、ほぼ原形のまま。
後付けで、シートベルトも装着してあるので、高速道路走行も可能だ。
所有するために、大型免許も取得したという。

ボクは、自分の結婚式で、岡電バスの路線バスを貸し切る程度には、バスマニアなのだが、「まだ、バスは持っていないのですか?」と質問されたときには、笑ってしまったが、本気で、「ボクは何故、まだ、バスを持っていないのだろう?」と、自分に問いただしてしまった。笑
トラック用の洗車機で、洗車をする。

車中、バス談義に花が咲く。
趣味を極めた人は、決して、競ったり、比較したりしない。
「好き」を極めれば極めるほど、そこにはそれぞれに個性が出て、専門分野ができてくることを自分たちが体感して知っているのだ。

改めて、ボクも、自己紹介のお話をさせていただく。
岡山電気軌道、岡電バスで通学していた頃にルーツ、多数のバス会社が共存?競合?する岡山の特徴や、岡電も車体は西日本車体工業(西工)だが、シャーシーは、三菱ふそうであり、両備バスも、宇野バスも、やはり三菱が主体だった。
横浜に移住後、就職したCATV局で、横浜市金沢区、栄区、戸塚区の、京急バス、江ノ電バス、横浜市営バスの車窓をひたすら流す番組「路線バス百景」にちょっとだけ携わったりしたこと、そして、今、改めて、自分の地元を見直して、神奈中バス伊勢原営業所を掘り下げているお話などをさせていただいた。

函嶺自動車交通さんは、方向幕(現在はLEDを装着)や、社内放送設備、整理券装置、運賃箱などを復元して、できるだけ「路線バス」としての原形を大切にしながら、いろいろなイベントやツアーなどに参加したいとのこと。
バスを購入するにあたって、形式が、三菱エアロスターであるということは、当初からメンバーの中に異論は無く、三菱ふそう好きなボクとしても、非常にうれしい限りだwww
そうやって、お互いに、個性を認めながら、共通項では、大いに盛り上がる、本当に楽しい道中だった。

もちろん、バスの維持には困難もある。
費用面では、駐車場代と、車検が重くのしかかるとのこと。
ボクとしても、何か支援になるような企画を、是非とも考えていきたい。
箱根の山を登って鍛えていたためか、現在のところ、エンジンは非常に快調で、高速走行も問題ないとのこと笑
「なぜ、ボクはまだバスをもっていないのか?」
ボクとしても、本気で考える引き金を引かれた思いがする!!

函嶺自動車交通のみなさま、今回のご縁を作っていただいた、朋友細見さん、本当にありがとうございました!!
次回は何か企画を組んでお会いしたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします!!