2018年1月4日木曜日

福島・中央市場線 午後回り最終日

2018年、新年あけましておめでとうございます!
今年もブログ浜鷹臨港鉄道は、誰も待っていないけれど、ボクが残さなきゃ、誰も残さない情報をモットーにゆるゆる更新して参ります!!
さて、2018年一発目の画像は、1993年9月、岡山電気軌道、通称岡電バスの西日本車体工業58MCの画像です。
窓が逆T字になった後期車両、ナンバー34-60番なので、社番916号車。
岡山臨港鉄道の最大のライバル、と言いますか、岡山臨港鉄道がずっと負けっぱなしだった、岡電バス旧11系統「福島・岡山港」線。現在の「福島・中央市場」「福島・築港元町」線です。
このブログの一つのテーマが岡山臨港鉄道なのですが、まぁ、ボクの最寄り路線であり、通学等々毎日のように乗っていた路線であり、ボクを岡電バス好きに導いた路線ですのでご紹介します。
さて、中途半端に橋の欄干でバスが隠れたこの写真の何がスゴイかと言うと、現在の「福島・中央市場」線も、同じルートをたどるのですが、この写真と逆方向に回っているのです!!!
あと、この写真に1990年代まで残っていた、岡山臨港鉄道の8キロポストが写っていること。
これは、別日の「8キロポスト」写真です。
岡山臨港鉄道廃止後、通称11番川河口を渡る「臨港橋」の手前に、2000年頃まで残されていましたが、その話はまた別の機会にしましょう。

そうなのです。
1993年9月19日まで、岡電バス「福島・中央市場」線は、「平福小学校前」の停留所を出た後、「午前回り」「午後回り」で、午前は時計回り、午後は反時計回りの路線を回っていました。

旧11系統「福島・岡山港」線は、現在新岡山港から出ている、小豆島、土庄港へのフェリーが、旧岡山港から出ていた頃の連絡バスとしての使命を帯びた路線でした。
「午後回り」ナンバー35-95番なので、社番927号車、岡山港での写真。
この車両も窓が逆T字になった後期車両、トミーテックからモデル化されたお馴染みの車両ですねw
実は、この写真に写る道路の凹みも、岡山臨港鉄道の中央市場に至る線路跡なのです!!!
その昔には、旧系統番号10番「特急岡山港」行バスなども運行されていました。
そして、岡山臨港鉄道がそうであったように、岡山駅から岡山港にあるクラレ、同和鉱業等の工場への通勤路線でもありました。
「午前回り」「午後回り」を設定することで、午前は岡山駅→クラレ方面の通勤客を速達しつつ、ベッドタウン化しつつあった岡南元町・千鳥町の客を岡山駅に速達することができたのでした。(ボクもそんな恩恵に与った通学客でした)

1993年9月20日、

(1)小豆島行きフェリーが新岡山港発着になったこと

(2)マイカーの普及により、岡山港への通勤客輸送の使命が薄くなったこと

(3)そして、最も大きな要因として、岡南大橋の開通により、岡山循環線の一部県道45号線が開通したこと

により、「福島・中央市場」線は、短絡線である「福島・築港元町線」を開設し、「午前回り」の回り方のみとなり、現在に至ります。

更に申し上げると、現在でも写真付近の停留所名が、「北浦渡船場」なのですが、これは、児島湾の締切堤防完成以前に岡山港から児島湾を渡る船が出航していた港の証。
岡山臨港鉄道でさえ、1973年には、児島湾渡船場連絡駅「岡山港」駅を廃止したにもかかわらず、現在も「北浦渡船場」の停留所名が残っているのはすごいことと思います。
こちらは、ボクの家の最寄りだった「千鳥町」バス停。
今は廃止された「午後回り」バス停です。
系統番号10番「福島・築港元町」開設のお知らせと新時刻表。
ラッシュ時間帯の7時台に8本の設定が、通勤路線としての需要の多さを物語っています。
確か、築港元町線開設前まで、午前中に1本、乗ったことはありませんが、「岡山駅→クラレ直行便」が1本残っていたような。。。
こちらの写真は、最終日の9月19日、平福小学校前バス停から、旧南警察署前、現在の三浜町バス停に回ってくる、午後回り便。
現在の路線図を見て、「南警察署前」が「三浜町」に変わったことを知りました。
てか、ボクの乗っていた頃から南警察署はとっくに現在の位置に移転していたのですが。
西工58MCナンバー29-94、社番886号車。
同じく最終日、午後回り便の止まる、千鳥町バス停。西工58MCナンバー29-07だから、社番878号車です。
さらにこの頃のボクは、午後回り最終便の姿を捉えていますwww
福吉町バス停付近、西工58MC番号不明「岡南営業所」行、午後回り最終バスですwww
午後10時33分!
当時ボクは中学生。
中学生としては、とても遅い時間に、闇夜で寂しくバスを待っていたことを、今でも記憶しています。

ということで、今回は、岡電バスの話題でした!!
今年もよろしくお願いします!