2014年2月20日木曜日

横浜線E233系6000番台初乗車!

鉄ちゃんとしては、国鉄型205系がいなくなるのは寂しいのですが、通勤者としては、やはり、快適になるんだよなぁ。。。

車内に案内画面があるから、今どこにいるか、わかりやすい。
(特に横浜線は、似たような車窓が続くしwww)
車内が静か。
(205系の連結部は、なんであんなにうるさいの?)
車内が多少広い。
(通勤型も裾絞りが一般的になったなぁ。。。)
座席がちゃんと一人分に別れている。
(手摺もあるし。205系は、7人掛けで、7人座った時、狭いとき、広いときの差が。。。誰かの尻が大きすぎ!?)

2014年2月17日月曜日

八王子は、雪国

雪で週末の予定がボロボロでした。
山梨、長野等内陸部では、雪による甚大な被害を被っているようです。一刻も早い復旧をお祈りいたします。
また、雪の中で東急東横線の追突事故。
鉄道マニアとしても、信じられない事故で、先週の雪の中でもがんばっていた東急の姿を見ているだけに、とても胸が痛みました。

実は、土曜日午前中、JR東日本田端運転所で、ブルートレイン「あけぼの」ゆかりの機関車撮影会に参加する予定でしたが、見事に雪で中止・・・泣。
今回は、EF64、EF65、EF81の並びが見られると期待していただけに、ガックリでした。

横浜周辺は、道路の雪はかなり溶けましたが、八王子は、正に雪国!!
中央線の甲府付近が今も不通で、中央線貨物が立ち往生している状況です。
編成中に、日本オイルターミナルから、日本石油輸送に移籍した、タキ1000-12の姿が。
登場時のラインも矢羽根も無くなり、タキ43000かと見間違う質素な姿。
しかし、JOTと日本石油輸送って、お互い移籍しあって、どういう基準なんでしょうか??

2014年2月15日土曜日

岡山港県営上屋のこと(岡山臨港鉄道の話題) ~その4~

丸正製粉に引き込まれた岡山臨港鉄道側線は、岡山臨港鉄道倉庫に至り、そこで終わります。
しかし、空中写真を見ていて、ふと気が付きました。
国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省 昭和55年岡山より。

岡山臨港鉄道倉庫に至った線路のちょうど直線の延長線上に、岡山県営上屋があります。
しかも、東側の搬入口がちょうど直線の延長線上です。

ここからは、あくまでもボクの推測ですが、岡山県営上屋が建設された当時、岡山臨港鉄道の線路を岡山県営上屋まで延伸する計画があったのではないだろうか?

岡山県備前県民局岡山港管理事務所ホームページに「岡山港のあゆみ」というページがあります。
岡山港県営上屋は昭和42年~昭和45年にかけて建設されました。
ちなみに県での正式名称は「福島地区A~C棟上屋」というようです。

岡山県岡山港管理事務所ホームページ

実は、ボクの父親は、岡山県営上屋の建設時、電気設備工事に携わっていました。
しかも、若き日の父は、屋根上での作業中に出来立てホヤホヤのスレート屋根を踏み抜いて破ってしまう、という大失敗をしたそうです。
父が落下していたら、あわや大惨事、ボクもこの世に生まれていなかったという・・・。
そんな逸話があるので、ボクが岡山県営上屋について、ここまで熱く語っているのですがwww
岡山県営上屋「福島A棟」2007年撮影
左が東側で、岡山臨港鉄道倉庫からの直線上になる。

鉄道貨物は昭和39年頃に輸送量がピークでした。
県営上屋建設計画段階では、岡山臨港鉄道による貨物の輸送を想定していましたが、その後、鉄道貨物が衰退し、トラック輸送が主流となる中で、結果として線路が敷設されなかったのではないでしょうか。

岡山臨港鉄道本線の終端にも倉庫があり、こちらは臨港鉄道の側線が実際に敷設されました。
しかし、晩年は、全く貨車が入っていませんでした。

岡山臨港鉄道本線の末端部分は、ネコ・パブリッシング刊
「新・消えた轍9 中国」の岡山臨港鉄道のページに写真があります。

最初の文章で紹介しましたが、三井製糖引込線の末端もかなり長い距離で延伸された線路が敷設されていましたが、恐らくあまり使用実績が無いまま廃止になったと思われます。

県営上屋までの直線上には、岡山臨港鉄道現役時代から現役建築用の海砂を荷揚げする、旧瀬戸内海砂利、現三洋建材の大きな砂山があり、現実的に線路計画地は分断されていました。
三洋建材のショベルローダー 2007年撮影

瀬戸内海砂利時代は、もっと巨大なショベルローダーがいて、幼少時代のボクは、その働く姿に見とれていましたwww
その後、県営上屋までの海側には、玉島海運、日本通運の敷地が並び、荷役用のステキなクレーンが並んでいます。

県営上屋の一番南の端は、岡山港湾運送。
最初にお話した、三井製糖の原料糖を荷揚げする、岡山港でも一番立派なクレーンが、天を貫く勢いで、堂々と設置されています。
岡山県営上屋「福島C棟」と岡山港湾運送クレーン

もしも、ここに線路があったなら・・・

例えば、港町横浜の高島貨物駅の全盛期の空中写真を見てみましょう。

ちなみに、高島貨物駅は、今の横浜駅東口からみなとみらいに至る場所、ちょうどみなとみらい線の新高島駅や109シネマズからアンパンマンミュージアムに至る辺りにありました。
高島機関区を併設した広大な貨物駅で、辺りの埠頭の隅々に何本も貨物側線が伸びていました。
今は、たった一本の貨物線が走るのみ、みなとみらいの再開発で周辺は、見事に変貌しています。
国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省 昭和52年横浜より。

その東高島から伸びる埠頭のひとつの空中写真。並ぶ倉庫に貨物側線が走り、貨車が止まっています。

もし、岡山臨港鉄道が岡山県営上屋倉庫まで延伸されていたら、横浜ほどの規模ではないものの、似たような光景が展開されていたのかもしれません。
岡山県営上屋「福島A棟」2007年撮影

自分の推測が現実なら、カラーコーンが倒れている辺りに線路が計画されていて、荷物の搬入口に貨車が横付けされているであろう。。。
実際、岡山県営上屋への搬入は、海側の搬入口を中心に使われており、搬入口前は舗装もされていないため、「ここは昔の鉄道用搬入口だったんだよ」と言われても信じてしまいそうな雰囲気があります。
(我々廃線鉄道跡をたくさん見た者が感じるいわゆる「線路の臭い」と言うヤツwww)

それに、岡山臨港鉄道があったせいか、いまでも岡山港周辺はたくさんの倉庫代わりの貨車の廃車体があります。
岡山県営上屋「福島A棟」前の白く塗られたワラ1と思われる廃車体。
日本通運敷地にあるワム80000杯車体。
ワム86867番なので、1967年製。走行安定対策前の比較的初期車にあたる。


現実の鉄道貨物が衰退し、岡山臨港鉄道が廃止された今、敷設されなかった線路がある光景を思い浮かべる・・・
嗚呼、なんという遠く遠い、(そして、まったく無駄なwww)想像なのでしょう!!!

計画のみで敷設されなかった鉄道は全国にたくさんあります。
そんな幻の鉄道を求める楽しさを、岡山臨港鉄道と県営上屋というミクロな視点で書いてみました。
ボクの推測と夢想ごっこにお付き合いいただいた文章でしたが、いかがでしょう?



座席収納最終日、そして雪

八王子駅、雪の中の205系!ブレてたwww

岡山臨港鉄道の話題を一回お休みして・・・

横浜線、いよいよ新型E233系6000番台の営業運転デビューまであと2日となりました!
2月2日には、小机、町田駅で展示会もあり、横浜線沿線の鉄ちゃん以外の住人からも待望の新型デビューになりそうです。

そして本日は、205系6扉車の座席収納最終日でした。

「ワム205」と呼ばれた、9時まで座席が収納され、立ち席のみになる6扉2号車でしたが、E233系6000番台が全4扉なことに合わせて、座席収納を止めるそうです。

そして本日は、先週に引き続き関東地方大雪!

横浜線遅れの中で何とか帰ってきた横浜駅では、サンライズ瀬戸・出雲が40分遅れで立ち往生・・・

しかし、車内は満席状態!
何かの本に書いてあったとおり、女子友達の旅行や、家族連れの姿も目立ちます。
みんな、のんびり夜行列車で、多少の遅れなんて気にしない雰囲気で、暖かい社内からホームを楽しそうに眺めていました。

2014年2月14日金曜日

岡山港県営上屋のこと(岡山臨港鉄道の話題) ~その3~

2008年5月撮影。岡山臨港鉄道倉庫。

丸正製粉から先に進みましょう!

丸正製粉を出て踏切を渡り、三井製糖引込線が別れた後、線路は、岡山臨港鉄道の倉庫に至ります。
倉庫手前の踏切の脇に、臨港鉄道気動車の廃車体がありました。
最近まで、キハ5002のような記憶だったのですが、こちらのサイトで見事その廃車体を撮影されていて、キハ3001だったことが判明!

「鉄ちゃん復活への道のブログ」2011年9月27日
「岡山臨港鉄道 キハ3001廃車体」
http://blogs.yahoo.co.jp/tasa04ta/14033783.html

C5520さん、貴重な写真をアップして頂き、ありがとうございます。
いやぁ、この廃車体なんて、記憶の遥か彼方に消えて行くと思っていました。写真が残っていたことは、本当に感動しました。

さて、岡山臨港鉄道の倉庫は今も健在で、この辺りの雰囲気もあまり変わりません。
2007年12月撮影。

さらにさかのぼって、1990年頃の写真。

倉庫は、赤茶系の色に塗られていました。
まだ線路が残っていました。

岡山臨港鉄道現役時代から、この倉庫の前には、貯木場とチップ(おが屑)を船に積み込む設備がありました。

その貯木場で休憩所?倉庫?として使われていたマイクロバスの廃車体。
1990年頃撮影。



 チップ積み込み設備。2007年7月撮影。

チップを積んだ、特殊な深い荷台のダンプカーがスロープを登って、ベルトコンベアで船に積み込みます。
幼少時代はよく積み込み風景を見ましたが、2007年時点で、錆が浮き、あまり使われていないようでした。

貯木場はいつの間にか解体業者の資材置き場に変わり、チップ積み込み設備もいつの間にか無くなりました。現役時代、臨港鉄道倉庫には、必ず有蓋車ワムかワラがいました。

ボクは、幼稚園時代には、ワラ1とワム60000、ワム70000が区別出来る少年でした!
スゴイだろ~(って、全く誉められない自慢話。。。)

ちなみに、これがワラ1、17トン積み有蓋車。

これがワム70000、15トン積み有蓋車。

・・・見た目、ほぼ変わりません!屋根が違う!!
しかし、ワム70000、ワラ1という見た目ほぼ変わらない2種類の貨車の微妙な差違を見事に作り別けて、日本のNゲージ2大メーカー両方で製品化されてるのは、すごい時代になりました!
あ、一昔前、河合商会からは、ワラ1の表記変更だけでワム60000を製品化していましたが。
まぁ、誰も文句無かったでしょうがwww

なかなか県営上屋の話になりませんが、次回につづく!

2014年2月13日木曜日

岡山港県営上屋のこと(岡山臨港鉄道の話題) ~その2~

ステキな穀物サイロですよねwww
鉄道と同時に、工場やタンク、倉庫等の設備も大好き、ムーニーです!
2009年撮影。

さて、前回丸正製粉から三井製糖への引込線を紹介しました。

もう一度丸正製粉に戻りますが、空中写真を見ると、丸正製粉前がちょっとしたヤードになっていました。

穀物サイロが似合う貨車といえば、肌色の穀物ホッパ車、ホキ2200でしょ!!
1998年東高島駅にて撮影。
(東高島とホキ2200についての思い出はまた後日・・・)

うーん、ボクは、ホキ2200は、最もセクシーな(ちょっとグラマーですがwww)貨車と思っていますがいかがでしょうか?(変態ですねwww)

ボクは岡山臨港鉄道現役当時、丸正製粉構内でホキ2200を見た記憶があるのですが、先輩方が残してくれた、岡山臨港鉄道現役時代の数々の写真を見ても、ホキ2200は写っていません。
あれは、幻だったのか!?

今となっては確認しようがありませんが、岡山臨港鉄道線内でのホキ2200の写真募集します!!
(そんな限定ネタ、誰が反応してくれるのでしょう!?)

さて、話が一向に進みませんが、その3につづく!!


2014年2月9日日曜日

岡山港県営上屋のこと(岡山臨港鉄道の話題) ~その1~

このブログの柱となるテーマなのに、出し惜しみしてるわけではないのですが、遅々として進まない岡山臨港鉄道の話題。
まぁ、いろいろ写真はあるけど、現役時代の写真が無いのでねぇ。近所に住んでたけど、幼稚園年長組の時に廃止になったので・・・。
嗚呼、乗った時に親に写真撮るようにダダをこねればよかった。

さて、これは岡山港の写真です。
いい感じのクレーンでしょ!?

そしてタイトルの「岡山港県営上屋」とは、この写真の右に移っている倉庫のことですw

東京、横浜の港湾施設は、完全に出入り禁止で、時間外は門があって閉鎖されてしまいますが、岡山港は、今でも港湾作業がお休みの土日に、このクレーンの根元で親子連れが釣りを楽しんだりする、のんびりした光景が広がっています。
しかし、昨年には津波対策で、船が接岸しないエリアには、コンクリートの防波堤が設置されたり、ボクが子供の頃からは、少しずつ姿を変えています。
2009年5月撮影。

このクレーンは、鉄マニアでもあるボクにとっては、非常に萌える立派なクレーンですが、子供の頃は、岡山港にある三井製糖に船で運んできた砂糖の原料をダンプカーで三井製糖にピストン輸送していました。
小学校の頃、三井製糖を工場見学しました。工場には、ここで荷揚げされた原料糖の山があり、「甘いので舐めてみてください!」という言葉で山の砂糖を舐めまくっていたら、翌日見事にお腹を壊しました。
「人生、甘くない」ということを知ったのは、この時でした。。。

おっと、岡山臨港鉄道の話に戻します!

岡山臨港鉄道の現役時代、晩年の終点岡南元町を過ぎ、旧南岡山駅の車庫の辺りで、丸正製粉や三井製糖に伸びる引き込み線が別れていました。
十一番用水を渡り、(干拓地である岡南地域には、こんな名前の稲作用水路が何本もありました。ボクらは十一番川と呼んでいました)本線とは、丸正製粉を挟んで伸び、丸正製粉の敷地を出たところで、岡山港のメインストリート!?を踏み切りで渡ります。

写真(1)丸正製粉。サイロの前を通って、手前の門の辺りから線路が出て、踏切でした。
2007年撮影。

踏み切りの後すぐに、線路は何本かに別れます。
一本は、三井製糖構内に伸びて行きます。
写真(2)三井製糖構内に入る引込線門。1990年頃撮影。

もしかすると、今でもこの門の跡は残っているかもしれませんが、手前に倉庫が建ち、確認は困難になりました。 
写真(3) 2007年撮影。写真(2)から振り返って反対側の三井製糖工場。

ボクの記憶が、本当にギリギリ、おそらく3歳から4歳ごろ、父親に連れてきてもらった記憶です。
この辺りにはいつもたった1両、トラ55000か、45000と思われる無蓋車が止まっていました。
うーん、今、改めて思い返すと、トムだったような、あおり戸は、木製だったような・・・。
とにかく、踏み切り横にポイントと、たったトムorトラ1両分の線路があり、ボクは父親にその貨車に掴まらせてもらった思い出があります。父親曰く、その短い線路は昔はもっと先に伸びていた、とのこと。
土を掘り返せば、線路が出てくる、ともいっていました。
今思えば、その無蓋車は、三井製糖に砂糖の原料を運んでいたのでしょうか!?

三井製糖構内には、廃止になった後もしばらく線路が残っていたように思います。
線路は三井製糖構内を通り抜け、昔は小豆島行きのフェリーがあった道の脇に突然顔を出します。
写真(4)1990年頃撮影。上下に見える2本の茶色のものが、線路です。
右方向が三井製糖と岡山臨港鉄道本線。
左方向にフェリー乗り場と岡山中央卸売市場、同和鉱業。
え?線路の真ん中に、電柱が立ってるじゃない??

実は岡山臨港鉄道の現役時代から線路の真ん中に電柱は立っていたように記憶しています。
この線路の先には、岡山中央卸売市場や、同和鉱業の工場があり、それらの工場からの荷物を運ぶことを目的に線路を敷設したものと思われますが、恐らく現役時代晩年には、既に廃止になっていました。
そして、線路の真ん中にどーん!!と電柱が立てられてしまったわけですwww

岡山中央卸売市場ができた頃には、既に鉄道貨物衰退の時代。
昔の空中写真を見ても、だだっ広い空き地が広がっているばかりのこの線路、現役時代に実際に使用されたのでしょうか??

しかし、この線路は、本当に「忘れ去られた線路」となり、他の岡山臨港鉄道の遺構が消えていく中、21世紀までこの線路が残っていました。

今回の写真の撮影場所は、以下の写真のとおり。
タイトルの岡山港県営上屋の話は・・・?
次回に続く!!
国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省 昭和55年岡山より。








2014年2月6日木曜日

タキ44000発見!!

こぶさたぶりです、ムーニーです。
昨日午後休みにしたら、その分の仕事が重なって、今日は終電です、ムーニーです。

八王子、けたたましいブレーキ音と共に、ブルーサンダーが停車しました。
まぁ、それはいつもの光景なのですが、今日の編成は、タキ1000系ではなく、その一代前のタキ43000を中心にした編成。
その中に、宝物大発見〜!!??
タキ44000です!わーいわーい!!!

タキ44000は、タキ43000がガソリン専用なのですが、その変形バージョン、ガソリン以外、(専用種別に「除ガソリン」と表記される)主に重油を運ぶためのタンク車です。

重油は、ガソリンと比較して比重が重いでしょ?なので、同じ容積だとガソリンと比較して重い。だから、同じ重さで運ぶには、容積を小さくしなきゃいけない。
従って、タキ44000は、タキ43000と比較して、全長が短いのです。

ほら、編成のタキ43000と比較すると、短いでしょ?
(よーわからんか!?)
あ、この写真のタキ43000も、1967年製、総勢819両製造されたタキ43000の4番目の兄貴、タキ43003であります!!

タキ3000にはタキ1500、タキ35000にはタキ45000、過去の代表的なガソリンタンク車には、同一構造で、タンクが短い「除ガソリン」タンク車が必ず生まれました。

2010年以降、車扱貨物はISOコンテナ化や、トラック輸送に代わり、激減しました。その中で、唯一(っても、廃止も相次いでますが)元気な貨車が、石油輸送に活躍する、タキ43000とタキ1000。
しかし、重油輸送は減少傾向とのことで、現在も新製が続くタキ1000には、「除ガソリン」の兄弟形式はありません。

ほんの10年前、根岸でタンク車を眺めていると、タキ43000に混じって何両かのタキ44000が必ずいました。
しかし、実はここ最近、タキ44000は見ていませんでした。

すれ違うタキを見る度、いつもいつも、小さな君の姿を探していたよ〜�

重油を運ぶことも少なくなった〜
もう会えないと思ってたよ〜
根岸、蘇我、八王子、こんなとこにいるはずもないのに〜〜��


・・・すいません、興奮して歌ってしまいました。。。