2020年3月25日水曜日

walthers #933-3225 穀物サイロ~その4~日本製粉、日清製粉専用線の写真など

東高島駅に接続していた、日本製粉横浜工場の写真。1998年頃撮影。 専用線接続部分。東高島から、鶴見(新興)方向に接続していた。
東高島までは、EF65型電気機関車、東高島からの入換は、DE10型ディーゼル機関車の担当。
東高島にはDE10が常駐していないので、朝夕、EF65が次位にDE10を連結して牽引してきていた。
発送先は、栃木県の小山駅。
1999年まで、ほぼ毎日定期的に列車があったので、ホキ2200の最後の運用もここだけは安泰かと思っていたが、あっけなく廃止になった。
逆方向を見る。
積み込み設備の上屋(屋根)は木製で、かなりの年代物であることがうかがえる。
恐らく、ホキ2200型(製造初年1966年)よりも歴史があるのではないだろうか。
ホキ2200の前には、どんな貨車が使われていたのだろうか。

終端部分、一番鶴見(新興)方向には、トラバーサーがあった。
実際に使用していたのかは不明だが、大きさは、ホキが載る大きさだった記憶がある。

続いては、1996年で鉄道貨物輸送を廃止した、鶴見線大川駅接続の日清製粉鶴見工場。
こちらにも、立派な穀物サイロがあった。

正門から。
大川駅終端部分。
正面に万年塀が設置されているが、過去には専用線が伸びて、ホキ2200が出入りしていた。
反対方向には、昭和電工の専用線があり、短くなった入換線を使用して、2008年まで黄色いタキ5450が手押しで入換えされていた。

もう一つ。
ボクの地元岡山から。
日清製粉岡山工場。
西岡山駅方向から接続していますが、岡山駅近隣で、周辺はすっかり変わってしまったが、工場は今も盛業中。
とはずがたりさんの鉄道貨物物流研究サイト「日本の鉄道貨物輸送と物流」
の中に、日清製粉についても記載があり、1986年(昭和61年)までは、運用があったようだ。
http://butsuryu.web.fc2.com/nisshin-seifun.html
ボクは、全く記憶が無いのですが、ここにもホキ2200が出入りしていたものと思われる。

2020年3月17日火曜日

walthers #933-3225 穀物サイロ~その3~

ボクにとって、模型、プラモデルを製作するときに、「色塗り」「塗装」は、大きな障壁になってきた。
正確に言うと、どうしても「面倒くさい」と思ってしまう、悪いところがある。
マスキングもしなきゃいけないし、色によって、塗る順番も考えなければいけない。
スプレー、吹き付け塗装をするためには、周囲の養生も必要だ。
エアーブラシ、ピースコンやコンプレッサーは、道具のメンテナンスも必要。
ラッカー系塗料だと、シンナー中毒にならないよう、換気も必要だ。
かといって、筆塗りできれいに仕上げることができるほどの技量はない。。。
スプレーで吹き付けても、せっかちな性格が災いし、厚り塗り重ねすぎてしまう。。。
失敗に対する恐怖も、ボクにとって「塗装」を大きな障壁としてしまった。。。

walthers #933-3225 穀物サイロは、walthersへの直接発注後、約3週間の船旅を経て、我が家に無事届き、ボクのテンションは最高潮、組み立てまで一気に進んだものの、いざ、「塗装」という段になって、進行は止まってしまったのだった。
特にこのモデル、透明の部品で一体に作られた、窓と窓枠、窓枠は色を塗りたいが、窓はきれいに透明にしたい!と思うと、そのマスキング方法をどうするかというところで思案に暮れてしまった。

そして、そのまま何と、ボクはこの模型を「お蔵入り」させてしまうことになる。
プラモデルを未完成で熟成させても、何の味も出てこないのであるが。。。

そして、寝かすこと、約15年。
2019年5月に、それまで勤めていた会社を辞めて転職することになり、その間に約1か月の有給休暇消化期間を得たことで、やっと再び箱から取り出したのであった。
今回、「塗装」という障壁の突破口を開いたのは、こちらの「アクリル絵の具」である。
アクリル絵の具が、プラスティックの塗装に使用できることは、「」で紹介されていた。
その後、気になってWEBを検索してみると、たくさんの作例も出てきた。
ボクは昔、よく絵を描いていたので、チューブ式の水彩絵の具やアクリル絵の具を、平面のパレットの上で混ぜ合わせ、塗る方が慣れ親しんでいた。ほとんどがビン入りのプラモデル用塗料に対して、抵抗感があったのである。
アクリル絵の具は、有機溶剤の有毒な臭いも無く、そして、仕上がりが程よい「艶消し」マット調に仕上がるところも、ストラクチャーの塗装にはぴったりだと思った。
塗装について突破口が開けると、工作もサクサク進む!
屋上に設置する給水塔?
やはりここで、海外プラモデルによくある、説明書通りにパーツが組めない!なんて事態が発生したけれど、すこしパーツを切り詰めることで、何とか回避。。。
こういう小物が充実してくると、一気にやる気も増してくる!
15年熟成させた!?各パーツを塗装のために台所用洗剤で洗浄し乾かしている。
15年の時を経て、パテを盛ったところが茶色く変色している。。。涙
ただし、強度的に問題無いと判断し、このまま作業続行。
さて、アクリル絵の具で塗装するのだが、まずは、ダークグレーを下地としてラッカー系スプレーで一吹きする。
まぁ、これは、今までの経験上なのだが、ストラクチャーの場合、塗り残しや、色のムラが出てしまった場合に、プラスティックの地肌が見えることを防ぐのと、明灰色や白よりも暗くて濃い色の方が「汚れ」「経年劣化」のような効果が出るためである。
恐らく、鉄道車両や車のボディーのように、塗った色の発色を良くしたい場合、下地はもっと明るい色の方が良いだろう。

穀物サイロのタンク本体は、シルバーにしようと思っていたので、建屋部分を塗る。
Walthersの箱の写真の印象が強かったので、へそ曲がりなボクは、少し黄土色?クリーム色?っぽい色で、当初塗ってみた。
少し薄めに溶いて、筆ムラも気にせず塗り進める。
塗料が乾燥すると、確かに、艶消しマットな感じが、自然にコンクリートの質感のようになってくる!
懸案事項だった、窓枠は、この際、面倒なマスキングを一切無視することにした笑
そうしないと、ボクの作業が進まなくなりそうなので。
細い面相筆を寝かして、窓枠の凸部分にだけ色を塗る。
失敗しても、アクリル絵の具ならば、乾燥する前なら、水でふき取ることも何とか可能である。
少し古い鉄筋コンクリートの鉄製窓枠を意識して、白緑色で塗ってみた。

並べてみると、やはり、黄土色だと少し暗い印象。
ボクの勝手な構想として、この建物が建設されているボクの妄想の鉄道「浜鷹臨港鉄道」は、あくまで戦後の操業開始、そして、この穀物サイロが建設された埠頭自体、戦後に海が埋め立てられて、港が建設された、との、全く勝手な妄想の上に成り立っていたので、建築年代は、戦後、古くとも1950年代から60年代にかけての建物にしたい。
そうすると、やはり、無難な色は、Walthersの完成見本と同様、白色の方が似合っている気がする。。。
そして、結局ボクは黄土色の上に白色(ホンの少しクリーム色なのだが・・・)を重ね塗りしたのだった。

塗装が終わると、ほぼ同時進行で、walthers #933-3225 穀物サイロを設置する、モジュール(ジオラマ土台)も制作してみた。
実は、15年前に、既にレール等は敷設済みの土台があった。
サイズは、600mm×450mm、極薄の3mmベニヤ板と角棒で組んだものである。
「浜鷹臨港鉄道」の埠頭の風景を再現する。
レールの間に敷設された側溝?入換作業員用の通路。


 
バラスト(線路の石)散布前。
レールは、TOMIX製で、15年の歳月を経る間に、ポイントレールは1世代前のものになってしまった。。。涙
ボクの基本姿勢として、まず、レールを全てレッドブラウンで塗装する。
絵的に!?レールと道庄(バラスト部分)に一体感が出て、この後のバラスト散布作業という難作業に対して、やる気が出てくる笑
レールの間は、道庄の高さまで3mmのスチロールパネルで嵩上げ。
舗装部分は、3mm+2mmのスチロールパネルで、レール面と同じ高さまで嵩上げしてある。
バラスト散布後。
毎回のことながら、ボンド水溶液の濃度に四苦八苦して、最初は、乾燥後、ほとんどが固着できず。。。
そして、バラストの色合いにも四苦八苦。
足掛け3日間、バラストを撒いていた。
やっと合格点の感じになってきたが、写真に撮ると、色合いがまだまだおもちゃっぽいなぁ。。。
5月に扇町で実物を見た、ホキ10000を並べてみた。




2020年3月8日日曜日

walthers #933-3225 穀物サイロ~その2~


2005年5月、ボクは、WalthersのNゲージスケール穀物サイロの模型を求めて、浜松駅に降り立った。
目指すはアールクラフト模型店!
https://www.aalcraft.com/

現在では、amazonが台頭し、その他、ヨドバシカメラや、楽天に出店する模型店など、目指した商品をピンポイントで検索して、通信販売で購入することができる。

しかしながら、幼少時、鉄道模型やプラモデルを、町の模型店や、デパートで、陳列された商品を目で見て、手に取って選ぶ楽しさは、幸せなひと時である。
岡山の高島屋には、かなり細かく作りこまれた、巨大なNゲージレイアウトがあったし、天満屋には、鉄道模型に非常に詳しい店員さんがいた。
鉄道模型は無かったが、ジャスコ岡山青江店(後にイオンになり、現在は解体)には、ガンダム、ロボダッチなどのキャラクターものから、車やバイク、ミリタリーものまで、あらゆる種類の大量のプラモデルの在庫があった。
以前にもこのブログに書いたが、岡杉商店や、山陽模型店など、街の模型店もたくさんあった。
鉄道模型やプラモデルが大人でも手が届かないくらい高くまで積んであり、そんな棚の片隅に埃をかぶって忘れられたように置いてある、当時としてはレアな海外製品などを見付けて喜んだ。

浜松のアールクラフト模型店もたくさんの在庫の中から、「探す楽しみ」がある、すばらしい模型店だ。
今も盛業中のようなので、勝手な思いだが、このまま通信販売に負けないで店舗販売も続けて欲しいものである。

しかしながら、実は、そのアールクラフト模型店で、ボクの第一の目標だった、walthers #933-3225穀物サイロは在庫が無かったのだ!

大量の商品の中から、探し当てたのは、冒頭の写真、walthers #933-3226「Add-On Silo」=要は、増設、追加用のサイロである。

本体が無いんかい!!笑笑笑

しかし、この時、アールクラフトさんで、しっかり購入して帰った。

正解だった。
この商品は、リンク先を見ていただければわかるが、2020年現在、walthers本家でも在庫切れであり、実は2005年からずっと在庫切れで、再生産されていないものと思われる。

ということで、アールクラフト模型店さんでは、この他に、Walthers #933-3247 Western Flood Loaderなどを購入して帰った。
日本製のプラモデルの質は高い。
海外製のプラモデルを購入したことがある方ならわかるかと思うが、パッケージの絵や写真だけでは、そのプラモデルを自分が組み立てられるかどうか?は判らないものである。
プラスティック成型の精密さ、パーツ同士の接合のしやすさや、「バリ」などの仕上がり状況、色の塗りやすさ、等々。
海外製プラモデルは、説明書通り組み立てられるかどうかは、自己責任!なのである。
過去にボクも、プラ丸棒や、角棒、真鍮線などが、そのままパッケージしてあり、例えば細かい手すり等の再現等で、
「あとは、この素材から、切り出すなり、曲げるなり、削るなりして、自分でがんばって作って下さい!!」というキットに出会ったこともある。
(「ガレージキット」と呼ばれるものには、日本にもこの手のキットはたくさんある。そこに、「作る楽しみ」があると言えば、その通りであるが、自分にその技量が無ければ、悲劇なのである)
walthersのキットを購入して、開封してみて、「これなら、ボクでも製作できる!」と思った。まぁ、walthersの箱には、「イージーキット」と書いてあるのだから、これぐらい作れなくてどうする・・・

さて、増設サイロが手に入ったのだから、ここは何としても本体が欲しい。
で、どうしたかというと、これはもう、walthers本家の通信販売しかない!!と思い、発注した次第である。
今でこそ、amazonの本家「amazon.com」(アメリカサイト)や、鉄道模型、写真集など、海外通販を利用することが多くなったが、ボクにとって、英語のみで通信販売をする初体験であった。
まぁ、当然ながら支払いはクレジットカード決済であるし、それほど難しいものではない。ただし、通常の配送は、船便なので(今もそうなのかな?)、手元に届くまでに約3週間くらいかかった。
そして晴れて、2列×8列、16本の模型としては、堂々たる穀物サイロを組み立てることができた!
組み立てに難しいところは無かったし、日本製と比較すれば、多少「バリ」もあるが、パーツの接合も良かった。ただし、構造上、タンクの中心部分に接合線が入ってしまうので、そこは溶きパテをたっぷり流し込んで、丁寧に削って仕上げた。
ところがところが!!
ボクにとって、プラモデルを制作する際の最難関「塗装作業」が待っていた!!
ちょうど仕事が忙しくなってきたことも重なってしまい、walthers #933-3225 穀物サイロは、悲劇的なことに、それから約15年間も、組み立て途中のまま放置されることになってしまった。

2020年3月6日金曜日

walthers #933-3225 穀物サイロ~その1~

この写真は、岡山臨港鉄道の、南岡山駅から伸びる貨物支線の先にあった、「丸正製粉」の穀物サイロである。(2009年12月撮影)

小学校の頃、図工で野外写生の授業があって、小学校が岡山港至近だったので、岡山港にある工場、倉庫群のどれかを題材に絵を描いたのを覚えている。
そして、ボクは、この、丸正製粉のサイロを描いたことを、今も鮮明に覚えている。

幼少時から、親に連れられて岡山港に来たが、丸いタンクが束になっている穀物サイロは、今でも何となく心惹かれる。
首都圏近郊で有名なのは、鶴見線大川駅の、日清製粉サイロや、東海道貨物支線、東高島駅の日本製粉サイロではなかろうか。

こちらは、東高島駅からかつて専用線が伸びていた、日本製粉の穀物サイロである。(2005年11月撮影)
1896年(明治29年)の日本初の製粉の会社、日本製粉創業時のサイロを改修した、産業考古学的にも貴重な、日本最古の現役サイロとのこと。
3列×10列、合計30本のタンクが束になった、堂々たるサイロ!

そして、穀物サイロといえば、そこに接続する貨車は、ボクが最も美しく、セクシーな貨車とする、穀物専用貨車ホキ2200。(1998年東高島にて撮影)
東高島駅から小山駅までの運用が、2000年3月まで、ホキ2200の日本で最後の運用となった。
鶴見線大川駅も、1997年に運用廃止となっており、ボクが岡山から横浜に住み始めたのが正に1997年で、鶴見線浜安善駅辺りには、運用が無くなってしまった大川駅常備のホキ2200がたくさん留置されていた覚えがある。

さて、今回紹介するのは、アメリカ「walthers」というメーカーの、穀物サイロのNゲージスケールキット。

ボクが何故walthersというアメリカのメーカーを知ったのかは、ハッキリ覚えていないのだが、walthersは、HO、Nゲージ共に、アメリカ型の貨車を中心として、他にも工場や倉庫等、貨物列車マニアには、堪らない製品をたくさん発売している。
興味ある方は、walthersのWEBページから、ラインナップをご覧になってください。https://www.walthers.com/
日本のTOMIX、KATOをはじめ、ヨーロッパのメーカーと比較しても、どちらかというと貨物鉄道に向けた製品に力を入れてくれていて、上手くニッチなマニアを取り込んで隙間を埋めてくれているラインナップである。

walthersのwebpageからは、世界中のメーカーの鉄道模型を取り扱っており、鉄道模型の問屋的な役割をしているようである。もちろん、一般向け販売もしているのだが、ボクは先ず、日本でwalthers製品を取り扱っている模型店を探した。
もしかしたら、web検索でヒットしないお店もあるのかもしれないと思い、東京・横浜近郊の外国型模型を取り扱うお店には足も運んだ。
しかし、店頭に並んでいるものは、車両を中心としたラインナップで、ストラクチャーは、KATOが代理店を務めるNOCH、POLA、HELJANのキットが主であった。

その中で、唯一ヒットしたのが、静岡県浜松市の模型店「アールクラフト」であった。しかも、この模型店は、丁寧な在庫リストをアップしてくれている。
https://www.aalcraft.com/
お目当てのwalthersの在庫も確認できた!これは行くしかない!!

2005年5月、ボクは新幹線こだま号に乗って、浜松のアールクラフト模型店を目指したのだった!

2019年9月8日日曜日

ムーニー小説劇場 「トラック浪花節」

※あくまで、事実を元にしたムーニーの妄想、ノンフィクション小説です。

2019年9月某日木曜日、11時38分に品川駅を出た快速特急電車は、間もなく、この私鉄最高速運転となる区間に達しようとしていた。運転士はノッチ(車で言えばアクセル)フル加速、通過する駅の駅名も読めないくらいの速度だった。

一方、千葉県生まれ、千葉育ち、成田の小さな運送会社に勤める、成宮淳史(仮名)67歳は、13トン積みの4軸大型トラックを運転し、一方通行の狭い路地に入り込んで徐行運転をしていた。
「チキショー、あの原付がいなきゃ、Uターンできたのに。。。まさかあのタイミングで直進してくるなんてよぉ。。。」
プシュー、プシュー、と、トラックのエアブレーキが、歩行者に接近するたびに悲鳴を上げている。
こんな道では、13トンの箱車をバックさせることはできない。もう少し進んで曲がれば、広い道に出られるはずだ。
そのはずだった・・・。

成宮は、昭和27年、千葉県に生まれた。子供の頃は、おとなしい方だったと言える。兄が2人いたから、どちらかというと、甘えて育ってきたのかもしれない。
自分の意見を言わなくても、兄が率先して物事を進めてくれた。
18歳で高校を卒業した。小さいながら農家だったが、家は兄が継ぐため、成宮は高校御卒業してすぐに、東京の大手家電メーカーに就職した。就職したころは、1970年、高度経済成長末期で、まだ、「集団就職」なんて言葉も通用していた。成宮のように、おとなしい、まあ、平凡な高校卒業でも、当時イケイケだった一流家電メーカーは、就職の門戸を広く開けていたのだ。就職した後は、全国の工場を転々とした。その工場の雰囲気に慣れた頃に、転勤の辞令が出る。おとなしい成宮は、社内になかなか仲の良い友達を作ることが出来なかった。
そんな中で、一番面白かったのは、九州工場時代だっただろうか。酒から女まで、地元九州出身の、先輩にあらゆる悪いことを教えてもらった。
1980年、28歳の頃、東京本社勤務になった。千葉の実家からも約1時間足らずで通えるように、という、社内の配慮もあったと思う。
地元の旧友との交流も戻ってきた。そんな時、人からの紹介で、今の妻と知り合うことになった。
1年余りの交際を経て、結婚。1982年、30歳の頃、第一子誕生。女の子だった。
会社の仕事も忙しく、家に帰るのは毎日終電近かったが、それほどお酒が強くなかったし、子供の顔を見るために、毎日ちゃんと家に帰ることが楽しみだった。
男家庭で育った成宮にとって、女の子の成長過程を見るのは、もの珍しくもあり、しかし、かわいくて仕方が無かった。
1985年、第二子が誕生。こちらも女の子であった。

その後、バブルが崩壊。
IT革命も起きて、日本を牽引してきたともいえる家電メーカーは、一気に苦境に立たされた。

1997年、成宮は45歳。本社勤務だった成宮の元に、子会社への出向、分社化された東北地方への勤務が言い渡された。
長女は、中学性になっていた。小さいころ、あんなになついていた成宮とは、今は、顔を合わせるたびにケンカをする日々だった。
今思うと、年頃になった娘に対して、少々口うるさかったかもしれない。
娘は二人とも母親になついてしまい、自分が仕事で家を不在がちだったことを今更ながら悔やんだ。
そんな中での出向の辞令だった。
会社には友達も少ないし、自分の勤務する家電メーカーは、海外企業との提携を視野に入れているとの噂も飛び交っていた。

変に責任ばかり増えている自分の立場にも苛立っていた。
子会社への出向は、片道切符だ。
今更、全く知らない社員にどう接していけばよいのだろう。
関東近県に戻ってこれるのはいつになるだろう。
今更単身赴任をすれば、家庭の中で成宮の存在はますます薄くなるに違いない。
家と、会社のストレスで、押しつぶされそうになりながら、成宮は、誰にも相談できないでいた。

世間は「就職氷河期」とも言われる時代で、大学新卒でさえ、就職に苦難する時代だった。
しかし、成宮は、19年間務めた大手家電メーカーを止める決意をしてしまう。
そろそろ、自分一人でもう少し気楽に仕事をしたい、そんな思いで、成宮は会社の出向辞令を蹴った。
秘かに、地元の転職情報誌で見た、大手運送会社の運転手募集広告に応募していた。
「就職氷河期」と言われる時代だったが、新卒から19年間、真面目に勤務していたことが評価され、運よく成宮は、その大手運送会社への転職が決まったのだ。
成宮の中では、「大手」家電メーカーから「大手」運送会社へ、という「大手」への安心感もあった。
年齢は、45歳、高卒で就業できる企業なんて限られていたし、給料面の待遇はほとんど変わらなかった。
普通免許で運転できる、4トントラックの運送業務から、成宮の第二の人生はスタートしたのだった。

大手運送会社で、最初は、千葉県内の配送拠点から、2トンや4トントラックでの宅配業務に従事していた。

もちろん、その運送会社では、10トンを超える大型トラックでの配送拠点間の長距離業務の方が、待遇が良い。
会社の中でも大型免許の取得支援もあった。
それに加えて、成宮の家庭事情も、成宮に大型トラックでの長距離業務への決心を強めさせた。
成宮は、1987年に、千葉の実家の近くに、一戸建ての家を購入し、その住宅ローンもあった。
そして、中学、高校に進んだ娘たちの中で、家庭での存在感がどんどん希薄になっていく意識もあった。

成宮は寂しかった。
「寂しい思いをする家庭に帰りたくない」そんな思いもあった。
会社の大型免許取得支援制度を利用し、1999年、47歳で大型免許を取得した。
前の会社に残っていたとしても、単身赴任ならば、大型免許を取得して、長距離配送業務になって家に帰ることが少なくなっても、結局は同じではないか!という思いもあった。

1999年、成宮47歳。
成宮の業務は、関東から関西、九州、四国、東北、北海道、全国への長距離大型トラックの運転手となった。
<つづく>
#ムーニー劇場
#ムーニー小説劇場
#トラック浪花節

2019年5月16日木曜日

三菱ふそう ザ・グレード船底ダンプ

本日会社に行く途中、とうとう捉えました!!
三菱ふそうザ・グレート、船底ダンプ!
興奮を抑えながら、お声かけて、作業範囲外から撮影!
グリル形状から、1986年改良型と思われます。
「トラック野郎」の一番星号で有名な、三菱ふそうFシリーズから、1983年にモデルチェンジ、角目ライトと直線系の近代的な外観と共に、三菱ふそうのトラックのラインナップ「キャンター」「ファイター」「ザ・グレート」が出そろいました。
写真のダンプは、自衛隊でも同型を採用された、1986年改良型と思われます。
グリルの「FUSO」の文字が車体色に塗られ、おでこの速度表示灯は外されているようです。


以前から、伊勢原、平塚近辺で生息していることは確認しており、2018年12月に走行中の姿を慌てて撮った写真がこちらです。
青い車体、赤いシャーシ、バリバリの現役!!
昭和→平成→令和を生き続けたダンプ!!末永い活躍を!!
#旧車
#はたらくじどうしゃ
#ザ・グレート
#三菱ふそう

2019年4月30日火曜日

平成最後の日に平成元年

平成元年のボクです!父撮影。
平成31年4月30日、みなさまいかがお過ごしでしょうか?
コトデン=高松琴平電気鉄道、瓦町駅、旧駅舎が残っています。(1994年解体)
瀬戸大橋が開通して、ボクは高松、瓦町にあった鉄道模型店「レイルハウス高松理工」に、当時岡山では手に入らなかったメーカーの模型を求めて購入しに来ていたのでした!!笑笑
まだ、平成元年のコトデンでは、こんなのが普通に走っていました。
元京浜急行デハ230。
ホビーセンターカトーに保存されていますね。
もう、ボクは鉄道写真に目覚めていましたw
カメラは、親の持っていた「フジカデート」
http://www.asahi-net.or.jp/~rd2h-ari/FU_DATE.htm
なんと、写真に日付が入る!素晴らしいカメラでしたw

そしてここからディープな話題です!!
平成元年、「金利家」の本家がある中国勝山(旧真庭郡勝山町、今の真庭市)によく来ていました。
今も久世と共に真庭市の中心的な町であり、姫新線の津山~新見間でも、津山発、中国勝山終点の列車も走っています。
しかしながら、駅は平成12年に駅舎が建て替えられて、委託駅となりました。今でも車両の夜間駐拍もあるようで、平成14年には、夜間駐拍中の無人の列車が、ブレーキの利きが甘かったらしく、夜中に久世方面に無人暴走する事故(被害者は無し)も起こったりしました。
その中国勝山、平成元年3月10日までは、何と大阪発、中国勝山行の急行列車が走っていました!!
急行「みまさか」。
「みまさか」は、「美作」と書きます。津山藩を中心に、岡山県で旧美作国のあった北東部の「美作」に由来します。
津山まで、鳥取行の急行「みささ」と併結されていたので、急行「みささ・みまさか」と記憶されている方もいらっしゃると思います。(←いや、記憶に無い人の方が多いだろう。。。)
 中国勝山駅、急行「みまさか」です。
とは言っても、津山から中国勝山間は各駅停車扱いで運行されていたので、急行「みまさか」単独で走行する区間は無いので、ややこしいですね。。。
「みささ」も、津山から鳥取間は、砂丘に併結されたので、「みささ」単独では走らないのですが。。。
改札口から撮った写真。この頃は駅員もいたので、入場券無しで無理やり撮った写真です。この日は、キハ58、キハ28、窓枠からキハ65の3両編成!?
記憶では、急行「みまさか」の到着を時刻表で調べたので間違いないとおもうのですが、「みささ」はグリーン車を含むキハ28、キロ28、キハ58の3両編成だったので、津山までは「みまさか」と併結して、6両だったのでしょうか?
おまけで、平成元年、中国勝山駅、駅前。
勝山の「ボンエース」!ラーメンが非常に不味かったwww
中鉄バスの日野ブルーリボンも懐かしい笑
このブルーリボンの同型が、昨年まで残っていたのですから、中鉄バスも素晴らしいですね。