2022年1月15日土曜日

2022年寅年!今、「トラ」に会える場所は??

遅くなりましたが、2022年あけましておめでとうございます!!

寅年の今年、鉄道ファン、特に、貨物列車マニアのみなさまのSNSでは、お約束通り!?「トラ」の画像が並び、ボクもいくつか掲載させていただきましたw
上の写真は、1997年根岸駅ホームからのEF6531号機と「塩トラ」トラ70000形です。

蛇足ながら解説しておくと、「トラ」の「ト」は、貨車の用途記号で「無蓋車」、「ラ」は積載重量記号で17~19トン積みという意味ですね。

この「トラ」形式の無蓋車による最後の定期運用を調べてみると、トラ70000形を主とする(晩年は一部、トラ45000も使用されていたそうです)による、神奈川臨海鉄道本牧駅の国際埠頭線から、群馬県渋川駅までの工業塩輸送で、2003年にコンテナ車に置き換えられて終了。(その後、国際埠頭線の輸送自体が2005年に休止)

高島町付近を通過する、塩トラの動画も撮影していました。

この塩トラ輸送の本牧駅や国際埠頭線での現役時代の写真は、ハマちどりさんの「ハマちどり写真帖」に詳しく掲載されています!

ハマちどり写真帖「なつかしの塩積トラ【鉄道貨物】」


その前年までは、室蘭にある、陣屋町臨港線のトラ90000形によるチップ輸送も残っていました。
(2002年ワム80000を改造したワム480000形に置き換え、さらに2008年にはチップ輸送自体終了)

その後も一部のトラ45000は、臨時輸送に細々と運用されていました。
ちなみに、トラ45000形の中でも、最後まで残ったのは床板を木製に、妻板を平板に交換改造した145000番台車です。

1997年、川崎貨物駅(川崎車両所)にて、トラ145270。

代表的なものでは、川崎貨物駅から千葉貨物駅間の車軸輸送や、常磐線友部駅を起点とする、機関車の滑り止め砂撒き用の砂輸送(旧東京機関区のあった品川や、田端機関区などに運んでいた)、首都圏を離れると、JR貨物広島車両所にいた、グリーンの配給用トラ145000が有名でしたね。

また、数年前までは、1年に数回、JR貨物に残ったトラ45000形(主に名古屋東港駅常備車)や、普段はレール輸送に使用されている「チキ」(長物車)により、自衛隊機材輸送列車が運用されたりしており、ボクとしては、日本の国防的な「非常時」に備えて、必ず「トラ」や「チキ」は残しているのかな?なんて推測したりしていました。

ところが、調べてみると、2015年頃を境に、この「トラ」による配給輸送や自衛隊資材輸送が見られなくなったようです。どうも、2015年頃、JR貨物に最後まで残っていたトラ145000は、川崎貨物駅や、名古屋臨海鉄道東港駅で解体されてしまったらしいですね。
ボクも調べるまでは、「川崎貨物駅か名古屋東港周辺に行けば、今でもトラに会えるよ~!」と締めようと思ったのだがそうもいかなくなったみたいです。

実際の動物「虎」も絶滅危惧種と言われているが、貨車の「トラ」も日本では絶滅危惧種になっちゃったのですね・・・悲。

それでも、2022年寅年に「トラ」に会いたくなったら・・・
実はJR貨物以外で生き残っている「トラ」がいた!

まずは、JR四国「しまんトロッコ」号!!
トロッコ列車用として、旅客用に改造され、屋根や椅子、貫通扉を取り付けて、現在は水戸岡鋭治氏のデザインによりイエローに塗られてはいるが、あおり戸や妻面の一部に無蓋車の面影が残っており、形式も、改造前の「トラ152462」のままであるのがうれしい。
機関車ではなく、キハ54牽引ではあるが、2軸車独特のジョイント音を聞きながら、四万十川沿い予土線の絶景を味わってみたいですね!
冬季は運休中なので3月の運転再開を楽しみですw

JR以外では、南阿蘇鉄道と、平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線に、トラ70000形改造のトロッコ列車が走っています。

残念ながら、外観はかなり改造され、かろうじて台車、台枠部分に面影が残る程度である。しかし、南阿蘇鉄道は2016年の熊本地震で甚大な被害を受け、今も立野~中松間が運休中であり、鉄道ファンとしては、復旧応援のために、ぜひ乗りたいですね。

また、門司港レトロ観光線は、ボクとしては、「田野浦公共臨港線」として、DD51牽引のセメント列車が、平成筑豊鉄道金田まで発送していた当時、訪問した懐かしい線。

貨物輸送が盛んだったころの臨港線の雰囲気を多く残しており、しかも、牽引する機関車は、協三工業製片流れ屋根の国鉄F6形貨車移動機。
正に鉄道貨物全盛時代には乗ることができなかった、無蓋車「トラ」に実際に乗って雰囲気が味わえるのではないでしょうか。

南阿蘇鉄道は、3月19日から11月27日の土曜、日曜、休日、平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線は、1月8日より土曜、日曜、祝日に運転しているようなので、運転日を確認した上で乗りに行ってみたいです。

2022年、トラ年に会える、動いている「トラ」について、まとめてみました。
この他、いくつかの保存車は承知しておりますが、もしかしたら今でも解体されないで、貨物駅や車両基地の片隅に眠っている「トラ」が残っているかもしれません。
もちろん、くれぐれも、無断で敷地内に立ち入ったりしないように、もし、隠れた貴重な「トラ」を発見されたら、ご報告下さいませ。

2021年11月7日日曜日

伯備線貨物列車~その2~



「サンライズ出雲」、特急「やくも」に乗って、岡山に帰った翌日、岡山県北にある、家のお寺を訪ねたりしながら、ドライブがてら新見駅に寄り、新見駅近辺で伯備線貨物列車3082レを撮影してきました!

・・・と、軽く書いていますが、一日に数本の貨物列車、マニアの方が作成してくれた、伯備線のダイヤグラムをプリントして、お寺参りの時間や、同行してくれた親に無理させない範囲で、運転しながら、撮影場所と時間をずっと頭の中で追いかけながらの行程でした。
(仏様、母上、ごめんなさいwww)
そんな、時間も行動範囲も制限がある中、柵が邪魔!!しかも、微妙に、貨物列車のお尻まで写っていない!!!
・・・鉄道写真としては、非常に下手くそな写真ですがご容赦願います。涙

しかし、牽引機関車は、愛知機関区EF641034号機、国鉄色が見えた時には、本当に嬉しかったです!!
既に、たくさんの方が、伯備線貨物列車を追いかけて、伯耆大山や中国山地の山並み、高梁川などの渓流を組み合わせて、素晴らしい写真を残してくださっておりますが、改めて、その努力に頭が下がります・・・

伯備線貨物列車の歴史については、前BLOGに書きましたが、

伯備線貨物列車~その1~

蛇足ではございますが、ボクが鉄道模型で再現した伯備線貨物列車です。
SLの運転が終了し、DD51ディーゼル機関車になった頃の伯備線石灰貨物。
非電化時代の特急「やくも」キハ181系ディーゼル特急との交換。
DFアローさんの「伯備貨物小史」によると、セキ6000形の連結は、1975年頃には終了したそうです。ということは、伯備線非電化時代の普通列車が朱色一色、首都圏色になり始めた頃(※首都圏色は、1975年相模線のディーゼルカーから始まった)には、セキ6000形の連結は無くなっていたことになり、普通列車の交換を再現してみる。
先輩のみなさまが撮影された、伯備線非電化時代の普通列車に必ずと言ってよいほど連結されていた、キユニ18形は、TOMIX製キユニ17で代用。
10系気動車の狭幅断面の凸凹感がいかにも「ローカル線気動車!」という感じでステキ!

そして、ここからは、現実には無かった組み合わせなのですが・・・
もしも、伯備線石灰貨物の牽引が、電化によりEF64形電気機関車に置き換えられたら・・・

伯備線は、1982年に電化されました。特急「やくも」は直ぐに電車化され、381系振り子式特急電車に置き換えられました。
普通列車も多くは115系電車に置き換えられ、貨物列車も、岡山(倉敷)~米子(伯耆大山)間を直通する列車は、EF64形電気機関車により置き換えられました。

しかしながら、足立駅発の石灰貨物は、1986年の廃止時まで、DD51形ディーゼル機関車の牽引だったようです。
詳しい理由は、ボクは知りませんが、同じく新見までの朝夕のラッシュ時に設定されていた、50系による客車列車も最後までDD51牽引だったようなので、国鉄時代の伯備線区間運用は、岡山機関区のDD51が非電化時代のまま運用されていたようです。
(1987年の国鉄民営化、JR以降、岡山機関区にDD51の配置は無くなっています)
途中駅での入れ換え等には、ディーゼル機関車の方が都合がよかったのでしょうか?
EF64牽引の石灰貨物と、381系特急「やくも」の交換。
ホキ7000とEF64の組み合わせも、なかなか似合っているではありませんかwww!
もしも、民営化後、JR時代まで石灰貨物が継続していたら、この組み合わせも現実になったかもしれませんねw

そんな鉄道模型ならではの、妄想の組み合わせをお見せして(と言いますか、ボクとしては、KATOの「伯備線石灰貨物セット」を購入した時から、EF64に牽かせたかったwww)
今日はこの辺で!





伯備線貨物列車~その1~

岡山の少し古い家には、必ずと言ってよいほど飾ってある写真があります。
ボクはその写真を持っていないので、絵を描いてみました。

1973年、伯備線布原信号所の鉄橋を走る、蒸気機関車D51三重連の写真。
当時、全国的にも少なくなりつつあった蒸気機関車に、一種の「郷愁」を求めてか、鉄道マニアのみならず、老若男女問わず、「SLブーム」が巻き起こります。

その対象として、日本全国でいくつかの有名SL撮影地(お立ち台)に、非常にたくさんの人が集まることになりましたが、その一つが、この伯備線布原信号所(現在は布原駅)鉄橋でした。
この貨物列車をもう少し詳しく説明すると、D51三重連が牽引していたのは、布原からさらに2駅伯耆大山駅寄りにある足立駅の「足立石灰工業」から発送される、セキ6000形、ホキ7000形による石灰石でした。

前BLOG、381系特急「やくも」に乗ってきました!でも掲載しましたが、足立駅の専用線は廃止になりましたが、「足立石灰工業」さんの工場は、いまでも盛業中ですw

発送先は、兵庫県の姫路から瀬戸内海方向に分岐していた、通称飾磨港線(正式には播但線の一部)の終点、飾磨港駅の日本製鉄瀬戸内製鉄所でした。

当時のD51三重連から、石灰石貨物廃止までの伯備線貨物の歴史と、素晴らしい写真が掲載された、DFアローさんの「伯備貨物小史」をご紹介させていただきます!


伯備線には、現在でも、伯耆大山駅まで、定期3往復、臨時を入れると4往復の貨物列車が設定され、伯耆大山にある王子製紙米子工場の貨物を主として、陰陽連絡幹線として、伯耆大山に集約されたコンテナ貨物を、国鉄型電気機関車EF641000番台牽引で、運んでいます。
少し前まで、米子駅に隣接した米子貨物駅を起点として、様々な車扱貨物や、最近でも、コキ71によるカーラック輸送など、バラエティに富んだ貨物を見ることができました。

ボクも、地元岡山でもあり、幼少時から、高梁川に沿った中国山地の大自然を走る、魅力的な貨物列車を、何度か見てきました。
いよいよ、EF641000番台も新型機関車への置き換えの噂も聞こえてきましたので、改めて写真を撮りに行ってみました。

ということで、ここで次回に続く!





2021年11月3日水曜日

381系特急「やくも」に乗ってきました!

 

帰省がてら、最後の国鉄型定期特急列車、381系特急「やくも」に乗車してきました!
1982年の伯備線電化から、振り子式車両381系が導入され、走り続けて40年余り・・・
2021年3月13日のダイヤ改正で、JR東日本の185系特急「踊り子」が引退し、気が付けば、国鉄特急型車両を使用する、最後の定期特急列車になってしまいました。。。

いやぁ、ブルートレイン世代のボクらとしたら、「国鉄特急」といえば、「L特急」!
この「電気釜」とも呼ばれる、485系(489系)、183系(189系)、そして振り子式の381系!!

2018年新宿で撮影したリバイバル特急色の189系。
少し前まで首都圏でもよく見られたし、リニューアルされた485系が東北でも走っていたので、まさか特急「やくも」が最後になるとは思っていなかった。。。

・・・とはいえ、コロナ禍で感染者は日に日に増して、緊急事態宣言が発令されている状況が続き、いざ、県境を越える移動や旅行が制限される状況になればなるほど「岡山に帰りたい」という思いは募るばかり・・・

そんな「ステイホーム」な状況で、せめて鉄道模型で381系を購入!
特急「やくも」への熱い思いを馳せた動画が、こちらですw
やっとコロナも少し収まってきて、親とも約2年会っていないし、「そろそろ帰ろう!」と決心したボクは、もちろん!?特急「サンライズ出雲」の出雲市行きの切符を予約したのでしたw

ということで、旅の始まりは、「サンライズ瀬戸・出雲」から。



前回、2019年は、のびのび座席でしたが、今回は熟睡したかったし、少し奮発して、B寝台シングル個室!
東京から乗りましたが、神奈川県民としては、やはり「崎陽軒シウマイ弁当」!

そして、新幹線以外で煙草が吸える唯一の列車になっちゃいましたね。
今は喫煙個室内だけですが、数年前までは、喫煙車デッキにも灰皿がありました。

「ななつ星」「四季島」「瑞風」など、観光クルーズ列車もがんばってほしいですが、サンライズ号のように、切符だけで思い立った時に(って、予約するの大変だったりしますが・・・)移動手段の選択肢として、定期夜行列車に乗車できることは、本当に幸せだと思います。
うーん、新幹線至上主義のJR〇海は嫌がるだろうけれども、関西、九州、東北などに新幹線を補完する形で、値段を新幹線並みに抑えて走らせれば、けっこう需要はあると思うのですが。。。
「旅情」なんて関係ない!高速バスで安く移動できればいい!という人もいるんだろうけれども・・・。
とはいえ、この「サンライズ」も、数年後の車両更新時期とか、リニアが開通する頃とか、いつ無くなるかわからない。
できる限り、乗れる時に乗っておきましょう。
さて、心地よいジョイント音と揺れに身を任せながらおやすみなさい。

おはようございます!岡山駅、6:27着。
みんな大好き、「サンライズ瀬戸」と「サンライズ出雲」の切り離し作業。
先頭から7両は、切り離されてそのまま6:31発「サンライズ瀬戸」として発車していきます。
そういえば、ボクは、岡山までは、ブルートレイン「瀬戸」時代を含めて何回も乗っているし、実は出雲市までは、以前にも何度か乗っているのだが、ふと考えると、瀬戸大橋を超えて、高松まで乗っていない。。。
次回こそ・・・(←いつ?)

「サンライズ出雲」は、6:34岡山発、倉敷からは、朝霧のかかる高梁川沿いに伯備線を走ります。

足立駅では、1973年大ブームになった「伯備線D51三重連」の発送元である「足立石灰工業」が盛業中であることを確認!



途中、上石見で特急「やくも」と交換。

伯耆大山では、こちらもいつまで見られるかわからない、EF641000番台貨物を確認!

そして、「サンライズ出雲」は、終着、出雲市駅に到着しました。

出雲市駅も何度か来ておりますが、高架化されて、変わりましたね!
ちょうど前のBLOGで、1992年急行「だいせん」に乗車した出雲市駅地上時代の写真を掲載しておりました。

ブルートレインLED化大作戦!!~その4 急行「だいせん」の思い出~

「神有月」に出雲市駅!
とりあえず、駅の中の「出雲の國 麺家 JR出雲市駅店」でおそばをいただきましたw

そして、いよいよ!!特急「やくも14号」出雲市10:31発!!
この少し不格好な増設貫通扉も、「やくも」の特徴と言えば、特徴なのですが、ボクは381系100番台の貫通扉のないつるんとした顔が好きですね。

クモハ381-501(自由席)∔モハ380-78(指定席)∔サハ381-230(指定席)∔クロ381-130(グリーン席)の「ゆったりやくも」パノラマ無しの4両編成。
一昔前の、7両や9両の長編成時代から比較すると、かわいいというか、寂しい編成ではあります。

指定席を取ったので、モハ380に乗りましたが、自由席の先頭車で、いろいろな席を楽しんでも良かったかなー、というくらい、まぁ、コロナの影響もあると思いますが、出雲市出発時点では、心配になるくらいガラガラの乗車率でした。
ただ、松江、米子で、6割程度の席は埋まりました。
車内は、客席がデッキ(乗降口)よりも数センチ低くなっているのが、重心を低く抑えようとした振り子式電車の特徴。
381系で実用化された、「自然振り子式」の乗り心地については、「車酔いを起こしやすい」という酷評も聞くし、実際に小学生のころ、いとこが特急「やくも」に乗って、完全に酔ってしまった話も聞いていた。
ボクも、実は幼少時に何度か乗っていたのだが、今回改めて乗ってみて、恐らく伯備線の線路路盤も強化されているのもあるだろう。
正に「振り子式」を最大限に発揮して、曲線でもスピードを落とすことなく、
「タタッ、トトッ、タタッ、トトッ、タタッ、トトッ・・・」
と、普段乗っている電車と比較しても、非常に軽やかな走りであった!!
非常に快適で、うとうと眠気を催していると、あっという間に、13:38岡山着。
岡山に着くとすぐにヘッドマークが「回送」になってしまった。。。涙

本当にあっという間の381系特急「やくも」の旅でした。
寂しくて待っていたら、引き上げ線で再び「やくも」のヘッドマークを出してくれた!
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を

「古事記」に出てくる、スサノオノミコトが、ヤマタノオロチを倒した後、クシナダ姫と一緒に新居を建てる、満ち足りて平穏な気持ちを詠った、日本最古の和歌だそうです。

「八雲立つ」は、「出雲」にかかる枕詞となりました。
そこから取られた、由緒正しき列車名「やくも」。

JR西日本では、来年度にはこの特急「やくも」に新型車両を導入すると発表しています。
今回は、出雲滞在が超短時間だけだったので、可能であれば、出雲大社参りなども兼ねて、もう一度ゆっくり乗りたいし、中国山地の大自然の中を走る姿も撮っておきたい。
381系よ!末長い活躍を!!










2021年6月12日土曜日

ブルートレインLED化大作戦!!~その4 急行「だいせん」の思い出~

 


実は、ボクの寝台列車初体験は、ブルートレイン「瀬戸」ではなく、出雲市→大阪間の急行「だいせん」でした。

当時の写真が出てきました!!

14系3段寝台と12系座席車の混結。このテールサイン!!
出雲市駅に推進運転で入線してくる急行「だいせん」のスハネフ14!!

1992年中学生の頃、両親と、岡山→福山→(福塩線)→備後落合→(木次線)→宍道→(山陰本線)→出雲市→(山陰本線)→大阪→(山陰本線)→鳥取→(因美線)→津山→(津山線)→岡山・・・
と、旅をした時に、寝台車に初乗車しました!

この旅行について、詳しくは後日書きたいですが・・・いやぁ、両親もよくこの旅行に付き合ってくれたな~と、今更ながら感謝しています。。。
急行「だいせん」では、ボクは最下段寝台でぐっすり寝ることができましたが、母親は、最上段で「眠れない!!!!」と悲鳴を上げておりました・・・
当時、3段式B寝台は、上段と、中段、下段で料金に差があったのです・・・
母親には本当に申し訳ないことをしました。。。幸いにも、母親は今も元気です。。。

ついでに、写真を何枚か。

夜の出雲市駅。
DD51。
当時、出雲市~倉吉間は、快速扱いでした。
反転フラップ式(パタパタ式)案内表示や、富士通FM TOWNSの広告も懐かしい・・・
翌朝、大阪駅にて。DD51 1140号機のようです。
ちゃんと正面から撮れよ!と思いますが、かなり早朝着で、眠かったのだと思います。。。

さて、鉄道模型に話を戻しますが、この12系、14系の混結編成は、急行「だいせん」乗車に触発されたこともあり、KATO製12系+TOMIX製14系寝台車という構成で、既に我が家に編成が揃っておりました。
この編成も「美軌模型店」さんの「きらめきライト」でLED化してみます!

KATO製12系座席車は、24系とは異なり、台車を止めているネジを外して、車体の裾を開くようにして、床板を外します。
24系より、難易度は低いですw
ただし、因みに、24系の時もそうでしたが、車体に(無理矢理に)力をかける時は、金属製のドライバーではなく、つまようじ等を使用した方が良いです。思わぬところで、ドライバーの先などで「ガリッ」と車体を傷つけてしまう可能性も高いです。
子供の頃、何度泣いたことか・・・
24系の最初期製品と比較すれば、新しい製品ですが、巨大なライトケースがあるので、その中に美軌模型店の「きらめきライト」を装着しました。
固定は、またマスキングテープのイモ付けですが、、、無事点灯しました!

そして、TOMIX製14系寝台車。
台車のネジを外して、床板を分離します。
もったいないなー、と思いながら、カッチリ装着されているライト基盤を外して、、、
美軌模型店さんの「きらめきライト」をマスキングテープでイモ付け!!
我ながら、この非常に稚拙な工作をBLOGに掲載しても良いものか・・・
念のためもう一度書きますが、工作は自己責任でお願いします。
また、注意事項としては、絶対にショート(短絡)はさせないこと!「きらめきライト」は、配線部が剥き出しなので、絶縁にはくれぐれもご注意を!絶縁には、マスキングテープを二重に張り付けるくらいでも良いかもしれません。

そして、いざ、点灯!!
おーっと!!テールライトがピンク!というか、ほぼ、白色!!
よく見ると、導光レンズが、テールライトとテールサイン兼用で、透明のパーツなのです。
恐らく、レンズ面のみ赤色が入っているのかなぁ。。。

そこで登場したのが・・・
マッキー!!
言わずもがな、赤色油性ペンです!!
テールサインと完全に分離することはできないので、テールライト方向だけを赤マッキーで塗り塗り・・・
おお!!こんな稚拙な、突貫工事の工作ですが、何とか合格範囲くらいに、テールライトが赤くなってくれました!!!!




NS-2901 安芸・だいせん・さんべを使用しましたが、その他にも、全国の特急、急行から、ローカル線の方向幕まで網羅されており、お手頃な価格設定と、光を透過する品質も申し分なく、思わず、地元岡山周辺のシリーズをコンプリートしたくなりますw

ということで、急行「だいせん」も無事LED化完了!!

まずは、テールライトとテールサインが印象的で絵になる「夜行列車」について、最新製品を買い直さなくても、子供のころから集めてきた、思い入れのある車両をLED化してみました。
他の車両もグレードアップしたら、おいおい書きたいと思いますw

ひとまずこのシリーズは、これにて!