2013年12月21日土曜日

ベルリン天使の詩(再掲)


杖をついた老爺が、昔のポツダム広場の喧騒を偲びながら、よたよたと歩く。
何も無い、草の生えた広場。

やがて老人は、カーブを描いた高架線の下の捨てられたソファーにぐったり座り込む。

ヴィム・ヴェンダース監督 ブルーノ・ガンツ主演「ベルリン天使の詩」。高校生の時、友人の紹介で観て以来、ボクの最も好きな映画の一つです。

自分がこの広場を訪れたのは、2000年。
既に壁は無く、ソニーセンターとバーンタワーが建設の真っ最中(あれ?もう出来てたかな?)。
しかし、ヨーロッパ独特の、(映画の中で天使も腰掛けた)タワークレーンが連立し、再開発真っ最中でありました。

都会のど真ん中にもかかわらず、何も無い広場に、線路。
壁が隔てたベルリンならではの光景と思いきや、似た光景が日本各地にありました。

1884年2月1日のダイヤ改正以降、日本各地で不要となった、広大な操車場跡地。
そもそも操車場とは、貨車を行き先別に仕分けするところで、荷物は自分の足で歩かないから、郵便を行先別に箱に分けるように、貨車を坂の上から転がして(落として)、ポイントを操作しながら、その行先の線路に入れていく場所。
線路は行先の数だけ分かれていなければならないわけで、広大なスペースが必要だった。

1984年、赤字に苦しんでいた国鉄は、そんなまどろっこしいことやってられるか!!とぶち切れて、「貨物はトラックに任せた」と、全国の操車場を廃止した。
ボクが物心ついた頃には、その操車場のほとんどの線路は剥がされ、脇を本線が駆け抜けるだけのだだっ広い空き地となっていた。
首都圏ならば、横須賀線新川崎駅脇の新鶴見操車場、さいたま新都心になった大宮操車場、大阪は吹田操車場等が有名。
同時に、国鉄の線路上から貨物列車が大幅に削減された。
そのあおりを受け、以降、日本各地の「貨物駅」といわれる場所も多くが廃止になり、操車場ほどの広大さは無いものの、草生してさびた線路が広がる、ぽっかりとした都心の空き地がそこここに出来た。

最初に訪れたのは地元岡山の西岡山操車場。
岡山県立普通科5校の一つ、岡山大安寺高校に訪問の際、脇の細道、自転車を漕ぎながら、その光景に何故か惹かれました。
その後、再訪。
脇に岡山回生病院があり、その屋上から夕日を眺めました。

操車場は無くなったものの、「西岡山貨物駅」自体は今も健在で、ボクが眺める貨物列車は、広大な空き地の脇で細々と走っていました。
さらにその向こうを人を乗せた電車が小さく走り抜けていきます。
要は、操車場による仕分けをしない「直行系貨物列車」は生き残り、貨物駅は機関車を付け替えたり、現在の貨物列車の主流であるコンテナ積み降ろしの為の駅として生まれ変わったのでした。
(注:要は、大阪発、東京行きの列車は、今までは大阪周辺の駅発の貨物を一回吹田に集めて仕分けしていたが、直にコンテナ等で大阪貨物駅に運びこんで送ったり、石油とかセメントとかは、ある工場からある工場まで直行で荷物を運ぶようになったわけ)

その後、岡山操車場跡地にサーカスがやってきた光景を見ました。
その光景は「ベルリン天使の詩」のサーカスと結びつきました。

益々この光景に感銘を受けた自分は、いつかこの光景を模型で!!と思い立ったのでありました。

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