2013年12月21日土曜日

tagging(再掲)


まだ未完成ですが、実家の「浜鷹臨港鉄道」のJRとの乗換駅、「小呂(コロ)駅」の風景。

千備(チビ)線はJR×○本線「浜鷹駅」から海側に分離する盲腸線。
JR×○本線浜鷹駅は、浜鷹市の東の外れ、今はフェリー港や卸売市場のある元漁港(漁村)の近隣に位置している。
千備線は、城跡のある本来の浜鷹市の中心部、「浜鷹市駅」に停車、その隣駅が、明治以降の工業地域「小呂」である。
「浜鷹市駅」で分離した貨物線は、高架の千備線と平行して小呂駅に隣接した「浜鷹貨物駅」に至る。
戦後、小呂からの遠浅の海は埋め立てられ、新しい工業地域となった。
その埋立地の貨物輸送を担うのが、小呂駅で乗り換える「浜鷹臨港鉄道」である。(妄想!)

全体写真は・・・見せれるものが無いので、今度実家に帰ったら、撮影してきますね・・・。

あ~あ、前回の更新から日が経ってしまいましたが・・・。
ボクに苦手なこと・・・継続。

で、そんなこんなで高校生の頃、浜鷹臨港鉄道の構想を始め、構想約4年、自分は横浜の大学に通い始めました。

横浜に来て嬉しかったことは、岡山で手に入らなかった模型素材がガシガシ手に入ること。
なにしろ、岡山ではグリーンマックスの商品でさえ満足に手に入らなかった。(その頃情報が乏しかったこともあるが)

そのため、四国高松や、大阪に行った際に手に入れたGMのコルゲート板(本来ステンレス車両の外板の表現用。その形状から、ストラクチャー(建物)のトタン板の表現用として多用)さえ、チビチビと、切った切りカスさえ捨てなかったものだ。

さて、前回のお話の通り、衰退する操車場、貨物列車の止まる貨物駅の製作を開始したのは、やっと大学4年になった頃でした。

前回お話した通り、自分の構想を模型化するためにはただただ「広大な(広大に見える)空地」の表現が必要なのです。
普通、レイアウト製作においてはそのスペースを(建物等で)如何に埋めるか、ですが、線路をエンドレス(円形)に引きながら、如何に広大な(広大に見える)スペースを作るかに重点を置くという、全く贅沢な悩みからスタートしたのでした。
そして、ボクのいなくなった岡山のボクの部屋(要は横浜で暮らすようになったし)に、畳2畳分のスペースを設け、贅沢なレイアウト作りはスタートしたのでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿